「ポン?」
2004年6月12日ポンジュースをご存知だろうか。
愛媛の農協が出資した会社のジュースである。
味はいわゆるオレンジジュースである。
私がそのジュースと初めて出会ったのは
小学校の頃であるが、今も好きで愛飲して
いる。
今週はお買い得だったので箱買い(1.5?×6本)
をしてしまった。
そう考えるとポンジュースも少なくとも20年は
経っているということか。
現代の商品の移り変わりの激しい飲料業界において
商品名も変えず、味も変えず?続いていることは
稀有なことではなかろうか。
でも何故にポンジュースという名前なのだろう?
オレンジジュースといわず、ポンジュースにする
所以は...。
疑問に思いボトルの裏を見て、原材料を
調べてみた。
原材料はみかんとオレンジだった。
ポンカンというみかんに似た果物があるが
それがてっきり原材料となっていると誤信
していた私は驚いてしまった。
原材料名と名前の一致は無かったのだ。
ねぇ、愛媛農協さんポンジュースのポンって
....何?
愛媛の農協が出資した会社のジュースである。
味はいわゆるオレンジジュースである。
私がそのジュースと初めて出会ったのは
小学校の頃であるが、今も好きで愛飲して
いる。
今週はお買い得だったので箱買い(1.5?×6本)
をしてしまった。
そう考えるとポンジュースも少なくとも20年は
経っているということか。
現代の商品の移り変わりの激しい飲料業界において
商品名も変えず、味も変えず?続いていることは
稀有なことではなかろうか。
でも何故にポンジュースという名前なのだろう?
オレンジジュースといわず、ポンジュースにする
所以は...。
疑問に思いボトルの裏を見て、原材料を
調べてみた。
原材料はみかんとオレンジだった。
ポンカンというみかんに似た果物があるが
それがてっきり原材料となっていると誤信
していた私は驚いてしまった。
原材料名と名前の一致は無かったのだ。
ねぇ、愛媛農協さんポンジュースのポンって
....何?
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「華やかな世界の裏には」
2004年6月11日プロ野球界は華やかな世界だと思う。
TV放映もされるし、一挙手一投足が常にニュースに
取り上げられる。
東京ドームに巨人-広島戦を観に行ったことがあるが、
各選手が華々しくテーマソングと共に登場し
バッターボックスに立つ姿は非常に感動した。
選手の中には年収数千万、数億円プレイヤーもいる。
世間一般のサラリーマンから比べれば非常に恵まれた
地位と年収である。
しかし、ネット上で以下のようなサイトを見つけた。
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/professional/retreat/retreat-top.html
結構若くして退団する選手もかなりの数に登る。
実際はWebに発表すらされない選手もいるのだろうから
その数は計り知れない。
華やかな影にはひっそりと退団していく選手も
いるのである。
私の友人の弟がは8年程位前、日本ハムにドラフト1位で
入団したがやはりプロの世界は厳しいのだろう、
1度も1軍で活躍したという噂を聞かない。
もう彼は退団したのだろうか。
第2の人生というべき道が退団後に待っているのだろうが
他人事ながら応援せずにはいられない。
どんな困難にも逃げずに真っ直ぐ立ち向かっていけ。
頑張れ英雄。
華やかじゃなくても、恵まれて無くても、
地道に頑張れ自分。
TV放映もされるし、一挙手一投足が常にニュースに
取り上げられる。
東京ドームに巨人-広島戦を観に行ったことがあるが、
各選手が華々しくテーマソングと共に登場し
バッターボックスに立つ姿は非常に感動した。
選手の中には年収数千万、数億円プレイヤーもいる。
世間一般のサラリーマンから比べれば非常に恵まれた
地位と年収である。
しかし、ネット上で以下のようなサイトを見つけた。
http://www.nikkansports.com/ns/baseball/professional/retreat/retreat-top.html
結構若くして退団する選手もかなりの数に登る。
実際はWebに発表すらされない選手もいるのだろうから
その数は計り知れない。
華やかな影にはひっそりと退団していく選手も
いるのである。
私の友人の弟がは8年程位前、日本ハムにドラフト1位で
入団したがやはりプロの世界は厳しいのだろう、
1度も1軍で活躍したという噂を聞かない。
もう彼は退団したのだろうか。
第2の人生というべき道が退団後に待っているのだろうが
他人事ながら応援せずにはいられない。
どんな困難にも逃げずに真っ直ぐ立ち向かっていけ。
頑張れ英雄。
華やかじゃなくても、恵まれて無くても、
地道に頑張れ自分。
「何か話を...」
2004年6月10日前述したかと思うが私は塾の講師である。
普段は20人前後の生徒を相手に講義形式で授業を
行っている。授業を面白くするかどうかは私次第
である。
生徒によく質問をするのだがときどき困った生徒
もいる。
「....。」 無回答である。
「わからない。」とか「○○です。」とか
それなりに答えてくれるのならまだいい。
無回答が一番困る返答だ。
無回答により一瞬教室が静かになるのがわかる。
「あれ?当てた私が悪かったのかな」なんて、
自分を省みてしまったり。
眠かったり、聞いていなかったりするのは誰でも
あることだか、毎回無回答となると非常に対応が
難しい。
最終的には次の人に当てることでその場をしのぐ
ことができるが、根本的な解決方法はないものか。
そこで私は考えた。口頭で答えを求めるから
駄目なのであって、黒板に解答を書かせれば大丈夫
だろうと。どうしても着席している席を離れて、
なにかしら反応をしないと駄目だからだ。
その結果....彼は席を離れず無回答であった。
そうくるか....。
次の授業まであと1週間。
彼に当てない事は簡単だが、授業に参加するという
意味で彼から回答を引き出す画策をしないと。
先生としての力量が今問われている。
普段は20人前後の生徒を相手に講義形式で授業を
行っている。授業を面白くするかどうかは私次第
である。
生徒によく質問をするのだがときどき困った生徒
もいる。
「....。」 無回答である。
「わからない。」とか「○○です。」とか
それなりに答えてくれるのならまだいい。
無回答が一番困る返答だ。
無回答により一瞬教室が静かになるのがわかる。
「あれ?当てた私が悪かったのかな」なんて、
自分を省みてしまったり。
眠かったり、聞いていなかったりするのは誰でも
あることだか、毎回無回答となると非常に対応が
難しい。
最終的には次の人に当てることでその場をしのぐ
ことができるが、根本的な解決方法はないものか。
そこで私は考えた。口頭で答えを求めるから
駄目なのであって、黒板に解答を書かせれば大丈夫
だろうと。どうしても着席している席を離れて、
なにかしら反応をしないと駄目だからだ。
その結果....彼は席を離れず無回答であった。
そうくるか....。
次の授業まであと1週間。
彼に当てない事は簡単だが、授業に参加するという
意味で彼から回答を引き出す画策をしないと。
先生としての力量が今問われている。
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「空って何で青いの?」
2004年6月9日今日はあいにくの曇り空だ。
そういえば、中学生の頃理科の先生に
「なぜ、空の色は青いの?」と質問したことがある。
質問に対して先生は「海の色が反射してるんじゃない。」と。
あの当時は「そうか。海の色か。」なんて妙に納得して
青空を見るたびに悦に入っていたが、今となると笑い話
のひとつとなっている。
上京してはじめて東京の空の色をみたとき、そのくすみ具合に
妙な不安感を感じたが、今ではもう当たり前の空の色になっ
てしまった。
ときどき光化学スモッグやらで警報が発令されるがそれも
私の生活のありふれた一部となった。
今では「空が何故青いか」という疑問も抱かなくなってしまった
が、心の青空だけは失わずにいたいものだ。
追伸:先生純粋な子供に嘘はついちゃいけませんよ。
そういえば、中学生の頃理科の先生に
「なぜ、空の色は青いの?」と質問したことがある。
質問に対して先生は「海の色が反射してるんじゃない。」と。
あの当時は「そうか。海の色か。」なんて妙に納得して
青空を見るたびに悦に入っていたが、今となると笑い話
のひとつとなっている。
上京してはじめて東京の空の色をみたとき、そのくすみ具合に
妙な不安感を感じたが、今ではもう当たり前の空の色になっ
てしまった。
ときどき光化学スモッグやらで警報が発令されるがそれも
私の生活のありふれた一部となった。
今では「空が何故青いか」という疑問も抱かなくなってしまった
が、心の青空だけは失わずにいたいものだ。
追伸:先生純粋な子供に嘘はついちゃいけませんよ。
「カナダ旅行に備えて...」
2004年6月8日今日「週間ST」という英語雑誌の購読申込を行ってきた。
http://www.japantimes.co.jp/shukan-st/
ジャパンタイムズより比較的簡単な英語の雑誌である。
もうかれこれ英語を勉強して何年になることやら。
中学時代の勉強期間も算入するならはや10年をゆうに
越している。
かといって英語力はあまり上達した気はしない。
なぜ、あえて入門誌的な雑誌を選んだかというと
基本をマスターしないと所詮はあいまいな知識に
とどまってしまうからである。
ヒアリングマラソンや、マジックリスニングなど
手を出した教材は数知れず...。
「週間ST」は英語、日本語が両方
載っているし、単語の意味も解説されているので
ある程度英語をだらだらと勉強した人間にとって
やり直しがきく雑誌かなと思う。
2年前シドニーに旅行したとき、比較的英語に
自信を持っていた私は英語が全く聞き取れず、
妻の前でかっこ悪い姿を見せてしまった。
1週間程度の旅行だったが結局片言の言葉しか
使うことができなかった。
この夏再び英語圏であるカナダに1週間程旅行する
計画がある。
今から「週間ST」で文章力、「ヒアリングマラソン」で
リスニング力をつけてしっかり旅行に備えておこう。
かっこ悪い姿をさらすだけならまだしも、英語
をこれだけ勉強しても使えないことが離婚原因
とならないためにも。(^_-)-☆
http://www.japantimes.co.jp/shukan-st/
ジャパンタイムズより比較的簡単な英語の雑誌である。
もうかれこれ英語を勉強して何年になることやら。
中学時代の勉強期間も算入するならはや10年をゆうに
越している。
かといって英語力はあまり上達した気はしない。
なぜ、あえて入門誌的な雑誌を選んだかというと
基本をマスターしないと所詮はあいまいな知識に
とどまってしまうからである。
ヒアリングマラソンや、マジックリスニングなど
手を出した教材は数知れず...。
「週間ST」は英語、日本語が両方
載っているし、単語の意味も解説されているので
ある程度英語をだらだらと勉強した人間にとって
やり直しがきく雑誌かなと思う。
2年前シドニーに旅行したとき、比較的英語に
自信を持っていた私は英語が全く聞き取れず、
妻の前でかっこ悪い姿を見せてしまった。
1週間程度の旅行だったが結局片言の言葉しか
使うことができなかった。
この夏再び英語圏であるカナダに1週間程旅行する
計画がある。
今から「週間ST」で文章力、「ヒアリングマラソン」で
リスニング力をつけてしっかり旅行に備えておこう。
かっこ悪い姿をさらすだけならまだしも、英語
をこれだけ勉強しても使えないことが離婚原因
とならないためにも。(^_-)-☆
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「インターネットはからっぽの洞窟」
2004年6月7日「インターネットはからっぽの洞窟」
(著:クリフォード・ストール)という本がある。
著者は1997年当時において既に、ネット暦15年を誇って
いたつわものである。
1997年当時日本でインターネット接続といえば
ダイヤルアップが主流で、よくてISDNだったと記憶している。
(米と日本でそこまで接続スピードに違いは無かった。)
それが今やダイヤルアップの何百倍、何千倍ものスピードで
個々の家庭からインターネットに接続が行われている。
7年程度でよくもここまで進歩したものだ。
果ては無線接続が主流となるのだろうか。
1997年当時と比べてインターネットのコンテンツは
どうなっただろうか。
動画、音楽、インタラクティブなHP等、用途は確かに
広がった。情報量もインフラの整備により莫大に増えた。
しかし現在も過去もやっていることは同じである。
情報を発信し、受信しているだけである。
知識の共有はあれど、そこに体験は伴わない。
著者は言う、インターネットは疑似体験であって
本物の体験には代えられないと。
洞窟探検が好きな著者はインターネットを”からっぽ
の洞窟”と称した理由も一理ある。
私は、インターネットに依存した生活を送っている。
品位・信憑性よりも即時性、多様性に重点を置いて
いるという理由もあるし、費用対効果が高く感じられ
るからである。
著者の言うように本当の体験はもちろん伴わない。
しかし、目的と手段を間違えない限り、知の共有と
いう点でインターネットは生活に欠かせない情報
ツールであることは現代において異論のない世間の
認識ではないだろうか。
TV・新聞というメディアからインターネットへと
私の生活はシフトしているが、もしかしたら本当は
終わりのない”からっぽの洞窟”という探検に日々
でかけているにすぎないのかもしれない。
(著:クリフォード・ストール)という本がある。
著者は1997年当時において既に、ネット暦15年を誇って
いたつわものである。
1997年当時日本でインターネット接続といえば
ダイヤルアップが主流で、よくてISDNだったと記憶している。
(米と日本でそこまで接続スピードに違いは無かった。)
それが今やダイヤルアップの何百倍、何千倍ものスピードで
個々の家庭からインターネットに接続が行われている。
7年程度でよくもここまで進歩したものだ。
果ては無線接続が主流となるのだろうか。
1997年当時と比べてインターネットのコンテンツは
どうなっただろうか。
動画、音楽、インタラクティブなHP等、用途は確かに
広がった。情報量もインフラの整備により莫大に増えた。
しかし現在も過去もやっていることは同じである。
情報を発信し、受信しているだけである。
知識の共有はあれど、そこに体験は伴わない。
著者は言う、インターネットは疑似体験であって
本物の体験には代えられないと。
洞窟探検が好きな著者はインターネットを”からっぽ
の洞窟”と称した理由も一理ある。
私は、インターネットに依存した生活を送っている。
品位・信憑性よりも即時性、多様性に重点を置いて
いるという理由もあるし、費用対効果が高く感じられ
るからである。
著者の言うように本当の体験はもちろん伴わない。
しかし、目的と手段を間違えない限り、知の共有と
いう点でインターネットは生活に欠かせない情報
ツールであることは現代において異論のない世間の
認識ではないだろうか。
TV・新聞というメディアからインターネットへと
私の生活はシフトしているが、もしかしたら本当は
終わりのない”からっぽの洞窟”という探検に日々
でかけているにすぎないのかもしれない。
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「日野原重明のインタビュー」
2004年6月6日日野原重明のインタビューを見た。
92歳という年齢にもかかわらず現役の医師である。
彼曰く、「寿命は時間である。患者を診るということは
自分の寿命を提供しているものだ。」と。
その言葉は、私の心に響いた。
日野原重明のインタビューは続く。
彼は深夜救急で電話が掛かってきて、そのとき自分が寝て
いたとしても1オクターブ上の声を出して電話に出る。
1オクターブ上の声が「起きていた」という印象を与え
患者を安心させるのだ。
そういう時間まで患者のことを思いやっている。
患者への思いやりを常にもち、まさに自分の時間を削って
医療に従事している。92歳でだ。ただの爺さんではない。
最後に彼は、
「患者が医者に教わるのではなく、医者が患者に教わるのです。」
とメッセージを残した。
新聞紙上を医療ミスのニュースが日常的に駆け巡る昨今
医療ミスは医療の経営的・制度的問題とする見方もあるかも
しれない。しかし、根本は医師の知識だけでなく、患者に
対する姿勢なのかもしれない。
92歳という年齢にもかかわらず現役の医師である。
彼曰く、「寿命は時間である。患者を診るということは
自分の寿命を提供しているものだ。」と。
その言葉は、私の心に響いた。
日野原重明のインタビューは続く。
彼は深夜救急で電話が掛かってきて、そのとき自分が寝て
いたとしても1オクターブ上の声を出して電話に出る。
1オクターブ上の声が「起きていた」という印象を与え
患者を安心させるのだ。
そういう時間まで患者のことを思いやっている。
患者への思いやりを常にもち、まさに自分の時間を削って
医療に従事している。92歳でだ。ただの爺さんではない。
最後に彼は、
「患者が医者に教わるのではなく、医者が患者に教わるのです。」
とメッセージを残した。
新聞紙上を医療ミスのニュースが日常的に駆け巡る昨今
医療ミスは医療の経営的・制度的問題とする見方もあるかも
しれない。しかし、根本は医師の知識だけでなく、患者に
対する姿勢なのかもしれない。
「小6同級生殺害事件」
2004年6月5日文字通り小学6年生が殺人を犯したということである。
ニュースやワイドショーでは「あのおとなしい子が..」
「いつもは優しかったあの子が...」という報道がなされる。
これって意味があるのだろうか。悲痛さを増幅させる
だけの報道ではないだろうか。真実を伝える報道ではない。
危ない子とされている子より、むしろ
「あのおとなしい子が...」と思われている子の方が、
私は危険だと思う。
危ない子とされている子供より周りから注目されていない
し、優等生と見られている子供ほどストレスのはけ口を見つけ
られずにいたりするからだ。
私は、犯罪を犯すということは誰にでもありえること
であり決して特別なことではないと思う。
「かわいそうだ」「えー小学6年生が..」とニュースを見て
同情したり、驚いている暇があるのなら自分の周りを顧みて
少しでも明るく楽しい生活ができる環境を作り上げていく
努力を今からでもしたほうがいいと思う。
偏差値・学歴・受験勉強という過度な競争の中で生まれる
表情は笑顔からは程遠い気がする。
ちなみに私は卒業後、受験を控えた学生なので
点数という数字ではかられる受験競争の渦中にいる。
それでも、笑顔だけは絶やさず楽しい受験生活を送り
たいと思うし、そうすることが一度は受験競争を経験
してきた人間が周りに行うことができる生活環境を
改善する行動のひとつであると思う。
ひとつでも出来ることからはじめなければ、
自分も変わらないし、社会も変わっていかない。
余談ではあるが、私の刑法の穴埋めテストの結果は
おそらく得点率5割といったところだ。
5,6時間ほど勉強したがその成果はなかなか現れて
くれないようである。また次回再チャレンジだ。(^^ゞ
ニュースやワイドショーでは「あのおとなしい子が..」
「いつもは優しかったあの子が...」という報道がなされる。
これって意味があるのだろうか。悲痛さを増幅させる
だけの報道ではないだろうか。真実を伝える報道ではない。
危ない子とされている子より、むしろ
「あのおとなしい子が...」と思われている子の方が、
私は危険だと思う。
危ない子とされている子供より周りから注目されていない
し、優等生と見られている子供ほどストレスのはけ口を見つけ
られずにいたりするからだ。
私は、犯罪を犯すということは誰にでもありえること
であり決して特別なことではないと思う。
「かわいそうだ」「えー小学6年生が..」とニュースを見て
同情したり、驚いている暇があるのなら自分の周りを顧みて
少しでも明るく楽しい生活ができる環境を作り上げていく
努力を今からでもしたほうがいいと思う。
偏差値・学歴・受験勉強という過度な競争の中で生まれる
表情は笑顔からは程遠い気がする。
ちなみに私は卒業後、受験を控えた学生なので
点数という数字ではかられる受験競争の渦中にいる。
それでも、笑顔だけは絶やさず楽しい受験生活を送り
たいと思うし、そうすることが一度は受験競争を経験
してきた人間が周りに行うことができる生活環境を
改善する行動のひとつであると思う。
ひとつでも出来ることからはじめなければ、
自分も変わらないし、社会も変わっていかない。
余談ではあるが、私の刑法の穴埋めテストの結果は
おそらく得点率5割といったところだ。
5,6時間ほど勉強したがその成果はなかなか現れて
くれないようである。また次回再チャレンジだ。(^^ゞ
「穴埋めテスト」
2004年6月4日明日は穴埋めテストが実施される。
思考能力が問われるというよりも記憶能力が問われるテストだ。
約70頁ほどの範囲から30問が出題される。
記憶力能力に関して私はテスト以外では比較的得意としている。
学生時代サークルで合宿に行ったとき神経衰弱を4人で行った。
私を除く3人はみんなグルなのだが私はその3人に4ゲーム連続で
勝つことが出来た。覚え方としては、数字を覚えるというより
もそのカードのイメージを焼き付けるといったほうが正確かも
しれない。
とにかく、神経衰弱は得意なのである。
カードゲームのように楽しいことは覚えるのだが、刑法のような
難解なものになると何度繰り返してもどうしても言葉が頭に
入ってこない。
「人的処罰阻却事由」「犯罪構成事実」「確定裁判」...。
何度覚えても忘れていく...。
恥ずかしながら明日あるテストは点数の悪かった人向けの
”追試”なのだが果たして今回は無事6割得点できるだろうか。
明日のテストを考えるだけでなんだか”神経が衰弱”していく
ような気がする。(-_-;)
思考能力が問われるというよりも記憶能力が問われるテストだ。
約70頁ほどの範囲から30問が出題される。
記憶力能力に関して私はテスト以外では比較的得意としている。
学生時代サークルで合宿に行ったとき神経衰弱を4人で行った。
私を除く3人はみんなグルなのだが私はその3人に4ゲーム連続で
勝つことが出来た。覚え方としては、数字を覚えるというより
もそのカードのイメージを焼き付けるといったほうが正確かも
しれない。
とにかく、神経衰弱は得意なのである。
カードゲームのように楽しいことは覚えるのだが、刑法のような
難解なものになると何度繰り返してもどうしても言葉が頭に
入ってこない。
「人的処罰阻却事由」「犯罪構成事実」「確定裁判」...。
何度覚えても忘れていく...。
恥ずかしながら明日あるテストは点数の悪かった人向けの
”追試”なのだが果たして今回は無事6割得点できるだろうか。
明日のテストを考えるだけでなんだか”神経が衰弱”していく
ような気がする。(-_-;)
「植物のススメ」
2004年6月3日私は小さい頃、植物があまり好きではなかった。
花といえば「すき、きらい、すき...」の花占い
程度しか興味を持つことは無かった。
それも、花をちぎることに快感を覚えていたのであるが...。
幼少時、母について買い物に行ったことがあるが、一番フラワーセンターに行くのが苦痛だった。
「花は花だろ...。どれをみても同じだろ...意味ねー。」なんて思ってた。
それから早20年。今では率先して部屋に植物を飾るようにしている。居住環境の制限から、たくさんの植物をおくことは出来ないがそれでも、10鉢程度を管理するようになった。
葉をちぎってあらたな鉢にさして、芽を出させることは非常に
楽しい。なんだか親になった気分だ。
「お前だけなんで根がでないんだよ。もっと頑張れよ。」と心
でつぶやく。今後は生育が難しいものや、高級な花に挑戦してみたいとも思う。
農具の鎌を持って花が咲く寸前にそのつぼみを切り取って喜んでいた自分が、20年後植物を育てるようになり、そしてそれを好むようになるとは自分でもある意味信じられない。
しかし、都会の喧騒の中で萎えた心にまさに”花”を咲かせてくれるのはこの目の前にある植物なのである。
今週末、もう一鉢くらい妻に黙って増やそうかな。
花といえば「すき、きらい、すき...」の花占い
程度しか興味を持つことは無かった。
それも、花をちぎることに快感を覚えていたのであるが...。
幼少時、母について買い物に行ったことがあるが、一番フラワーセンターに行くのが苦痛だった。
「花は花だろ...。どれをみても同じだろ...意味ねー。」なんて思ってた。
それから早20年。今では率先して部屋に植物を飾るようにしている。居住環境の制限から、たくさんの植物をおくことは出来ないがそれでも、10鉢程度を管理するようになった。
葉をちぎってあらたな鉢にさして、芽を出させることは非常に
楽しい。なんだか親になった気分だ。
「お前だけなんで根がでないんだよ。もっと頑張れよ。」と心
でつぶやく。今後は生育が難しいものや、高級な花に挑戦してみたいとも思う。
農具の鎌を持って花が咲く寸前にそのつぼみを切り取って喜んでいた自分が、20年後植物を育てるようになり、そしてそれを好むようになるとは自分でもある意味信じられない。
しかし、都会の喧騒の中で萎えた心にまさに”花”を咲かせてくれるのはこの目の前にある植物なのである。
今週末、もう一鉢くらい妻に黙って増やそうかな。
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「要は....」
2004年6月2日要約ということばがある。つまりは.....ということである。
法律家を例に出すのは少しためらわれるが、良い例だと
思うのであげておく。
問題を抱えている当事者が法律家にその解決策を相談した
としよう。しかし、それからというもの問題は
当事者の手を離れ、一気に難しくなっていく。
そして、法的問題の議論が始まり現実から
どんどん離れてゆく。
そして問題は解決するどころか複雑化の一途をたどるのである。
ある本でこのような感じの文章を読んだことがある。
現に、法律の勉強を行っている私も上の意見に同感だ。
どんな簡単な問題にしろ つまりは... と要約できない
のである。
法律の構造上複雑化は免れないのかもしれない。
法曹界のシステム上仕方ないのかもしれない。
しかしである、もう少し簡潔でわかりやすいシステムには
ならないのであろうか。
私の最近入手したIT用語辞典にはこうあった。
「文字化け」→要するに「チンプンカンプン」
「ユビキタス」→要するに「どこでもコンピュータ」
正直エンジニアを経験している私にもここまで短く誰が聞いても
わかる説明は浮かばない。
日本に裁判員制度が今年から5年ほどで出来るらしい。
一般国民が裁判にかかわる日もそう遠くはない。
保守化、複雑化する法曹界に対し私が裁判員制度に
期待することは、一般国民による単純化と簡略化
である。
ちなみに、私が考える法律用語辞書はこんな感じである
一般国民→「常識人」 弁護士→「合法的ヤクザ」
裁判官→「法律オタク」
こんな辞書は駄目ですか?
法律家を例に出すのは少しためらわれるが、良い例だと
思うのであげておく。
問題を抱えている当事者が法律家にその解決策を相談した
としよう。しかし、それからというもの問題は
当事者の手を離れ、一気に難しくなっていく。
そして、法的問題の議論が始まり現実から
どんどん離れてゆく。
そして問題は解決するどころか複雑化の一途をたどるのである。
ある本でこのような感じの文章を読んだことがある。
現に、法律の勉強を行っている私も上の意見に同感だ。
どんな簡単な問題にしろ つまりは... と要約できない
のである。
法律の構造上複雑化は免れないのかもしれない。
法曹界のシステム上仕方ないのかもしれない。
しかしである、もう少し簡潔でわかりやすいシステムには
ならないのであろうか。
私の最近入手したIT用語辞典にはこうあった。
「文字化け」→要するに「チンプンカンプン」
「ユビキタス」→要するに「どこでもコンピュータ」
正直エンジニアを経験している私にもここまで短く誰が聞いても
わかる説明は浮かばない。
日本に裁判員制度が今年から5年ほどで出来るらしい。
一般国民が裁判にかかわる日もそう遠くはない。
保守化、複雑化する法曹界に対し私が裁判員制度に
期待することは、一般国民による単純化と簡略化
である。
ちなみに、私が考える法律用語辞書はこんな感じである
一般国民→「常識人」 弁護士→「合法的ヤクザ」
裁判官→「法律オタク」
こんな辞書は駄目ですか?
「比較」
2004年6月1日私は最近人と比較することが減った。
大学生時代は人と比較し自分が出来ないことに
劣等感を感じ「なんで自分は...」と愚痴をこぼしていた。
それにより焦燥感を自ら掻き立て、落ち着いてやれば
できることも手につかず時間ばかり無駄に過ごしてきた。
今は比較することの意味が本当に無いことにやっと気づいた。
気づいたというより観念したと言ったほうが正確だ。
知識と知恵はやはり違う。
あいつは...、卒業した大学が....、環境が...、お金が...、
きっとこういうことを言っているうちはいつになっても
現在の自分に満足できずに愚痴ばかりこぼしているのだろう。
そういうことにもっと早く気づくべきだった。
誰一人として同じ価値観、性格、人生ではないのに。
人と同じであることに違和感を覚えても、そこから抜け出す
ことに躊躇しているようでは自分の人生は歩めない。
自己の確固たる価値観と信条に従って生き、他人との
違いをありのまま受け入れられる人間が成功者であり、
自らの人生を生きるまっとうな人間だと最近は考える
ようになった。
しかしながら、私は今のありのままの自分が本当の
自分なのであって他の誰でもないことに幸せと喜び
を感じるとまでは正直至っていない。
でも、心からそう思うようになれば人として成長した
自分がそこにいるのかもしれない。
大学生時代は人と比較し自分が出来ないことに
劣等感を感じ「なんで自分は...」と愚痴をこぼしていた。
それにより焦燥感を自ら掻き立て、落ち着いてやれば
できることも手につかず時間ばかり無駄に過ごしてきた。
今は比較することの意味が本当に無いことにやっと気づいた。
気づいたというより観念したと言ったほうが正確だ。
知識と知恵はやはり違う。
あいつは...、卒業した大学が....、環境が...、お金が...、
きっとこういうことを言っているうちはいつになっても
現在の自分に満足できずに愚痴ばかりこぼしているのだろう。
そういうことにもっと早く気づくべきだった。
誰一人として同じ価値観、性格、人生ではないのに。
人と同じであることに違和感を覚えても、そこから抜け出す
ことに躊躇しているようでは自分の人生は歩めない。
自己の確固たる価値観と信条に従って生き、他人との
違いをありのまま受け入れられる人間が成功者であり、
自らの人生を生きるまっとうな人間だと最近は考える
ようになった。
しかしながら、私は今のありのままの自分が本当の
自分なのであって他の誰でもないことに幸せと喜び
を感じるとまでは正直至っていない。
でも、心からそう思うようになれば人として成長した
自分がそこにいるのかもしれない。
「T(テラ)」
2004年5月31日寺ではない。テラである。
テレビ画像をHDD(ハードディスク)に記録する機器が人気である。
最新モデルでは数テラもの容量を実現できるらしい。1T=1000G
今のパソコンやHDDレコーダーが数百G(ギガ)なので数T(テラ)となるとかなりの容量である。
そのため1週間のTV録画に関し録画し損ねることがないのだそうだ。
なぜなら”すべてのチャンネル・番組を録画するから”だそうだ。
そうするると将来的には1ヶ月全部とか半年全部録画ってこともありうるのだろう。
しかしである、そうするとTVの即時性とCMの価値が失われないか。
見逃しても「あ、録画してるからいいや。」なんてことが普通になり、「CM邪魔だから録画しないでおこう」ってことになる。
でも録画した番組は相当な気持ちじゃないと再生することはないし、結局お蔵入りしてしまうことが多い。
私は録画することで満足してしまい、1度も見ないで何の番組を録画したかすら忘れてしまうことも結構あったりする。
そうするとTV視聴率、CMってあんまり関係なくなるのかも知れない。リアルタイムに視聴してる人が少ないだろうし、CMも再生時にカットしてしまうだろうし。
”TV”というものから派生した”HDDレコーダー”の発展によってその存立基盤である”TV”の制度・趣旨を改革する日は遠くないのかもしれない。
テレビ画像をHDD(ハードディスク)に記録する機器が人気である。
最新モデルでは数テラもの容量を実現できるらしい。1T=1000G
今のパソコンやHDDレコーダーが数百G(ギガ)なので数T(テラ)となるとかなりの容量である。
そのため1週間のTV録画に関し録画し損ねることがないのだそうだ。
なぜなら”すべてのチャンネル・番組を録画するから”だそうだ。
そうするると将来的には1ヶ月全部とか半年全部録画ってこともありうるのだろう。
しかしである、そうするとTVの即時性とCMの価値が失われないか。
見逃しても「あ、録画してるからいいや。」なんてことが普通になり、「CM邪魔だから録画しないでおこう」ってことになる。
でも録画した番組は相当な気持ちじゃないと再生することはないし、結局お蔵入りしてしまうことが多い。
私は録画することで満足してしまい、1度も見ないで何の番組を録画したかすら忘れてしまうことも結構あったりする。
そうするとTV視聴率、CMってあんまり関係なくなるのかも知れない。リアルタイムに視聴してる人が少ないだろうし、CMも再生時にカットしてしまうだろうし。
”TV”というものから派生した”HDDレコーダー”の発展によってその存立基盤である”TV”の制度・趣旨を改革する日は遠くないのかもしれない。
「15分で300万稼ぐ男」
2004年5月30日今日は15分で300万稼ぐ男と食事をしてきた。
その男は言う、学歴は要らない。
その男は言う、人の気持ちが分からなきゃ人の上には立てない。
その男は言う、孫の代まで名前を汚さないようにしろ。
その男は言う、欲張りすぎちゃいけない。
高卒のその男は私と初めて会ったとき学歴も、素性も何も聞かなかった。
ただ会った時のほんの一瞬で私の人間となりを読んだらしい。
直感で人を判断するのだ。
その男はしゃべりもそんなにうまくない。
その男は禿げた背の小さい普通のおっさんだ。
でも輝いて見えるのは何故だろう。
それは私利私欲にはしることなく、自分だけでなく他人の幸せをも考慮した生き方をしているからだ。
私は大学で学んだことの全てより、今日話をした男との時間が
ずっと大切だと感じた。
その男の年と私が同じ年になるまで後28年ある。
28年後、私はその男が今日私に見せた目と同じ目をしていることができるだろうか。
その男は言う、学歴は要らない。
その男は言う、人の気持ちが分からなきゃ人の上には立てない。
その男は言う、孫の代まで名前を汚さないようにしろ。
その男は言う、欲張りすぎちゃいけない。
高卒のその男は私と初めて会ったとき学歴も、素性も何も聞かなかった。
ただ会った時のほんの一瞬で私の人間となりを読んだらしい。
直感で人を判断するのだ。
その男はしゃべりもそんなにうまくない。
その男は禿げた背の小さい普通のおっさんだ。
でも輝いて見えるのは何故だろう。
それは私利私欲にはしることなく、自分だけでなく他人の幸せをも考慮した生き方をしているからだ。
私は大学で学んだことの全てより、今日話をした男との時間が
ずっと大切だと感じた。
その男の年と私が同じ年になるまで後28年ある。
28年後、私はその男が今日私に見せた目と同じ目をしていることができるだろうか。
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「メキシコのU.F.O.」
2004年5月29日http://www.thesandiegochannel.com/news/3292542/detail.html
メキシコの軍がU.F.O.を捉えたそうである。上記がそのリンクだ。白黒で且つ映像が観づらい部分があるがまあ、一般人からみてU.F.O.かなと思うレベルだ。
信憑性は私達のレベルでは正直分からないだろう。
インターネット上では激しい討論をしているサイトもあるが、
あまり証拠を挙げずに討論することは意味が無い。
貴重な1次情報手に入れ、それを分析できるのはごく一部の人間だけである。映像の専門家か実際に目撃した人くらいしか生情報には触れられないだろう。いくら2次、3次の情報を取りあげても信憑性に掛ける。
どんなに科学が発達しようが不明なものは残り続けるだろう。
科学は不完全であるし、ひとつの仮説を成り立たせるに過ぎないからだ。もし現代科学が万能であるとするならば、これから新たな科学的発見も発展もなくなってしまう。知らないことは無いことになってしまう。
このメキシコのU.F.O.が本当だとして
あなたも目の前でU.F.O.を目撃したとしよう。そして宇宙人がコンタクトをしてきたとしてもあなたは他の人にその事実を誤解なく伝えることが出来るだろうか。
私は無理なように思う。でもそれが真実であるならば、単に時間の問題で解決できることだと思う。
例を挙げるならば、電子メールがあれば全世界に数秒で自分のメッセージが送れるということをあなたは常識として知っている。
でも、今から100年、いや50年前の人間に上手く説明できるだろうか。おそらく変人扱いされるだけだろう。なぜならその存在を大多数の人間が知らないし、その時代の知識では証明しようがないからである。
時間がたてば全て解決する。なぜならそのときになれば「ああ、これがそうか」と否応でも分かるからだ。
U.F.Oが本当に存在するとしたら、それは時間の問題で解決するに違いない。
私のU.F.O.に対する主観としては、私達が宇宙に存在するのだから、同じような存在がかならずどこかにいるだろうし、いてもらいたいと思う。
メキシコの軍がU.F.O.を捉えたそうである。上記がそのリンクだ。白黒で且つ映像が観づらい部分があるがまあ、一般人からみてU.F.O.かなと思うレベルだ。
信憑性は私達のレベルでは正直分からないだろう。
インターネット上では激しい討論をしているサイトもあるが、
あまり証拠を挙げずに討論することは意味が無い。
貴重な1次情報手に入れ、それを分析できるのはごく一部の人間だけである。映像の専門家か実際に目撃した人くらいしか生情報には触れられないだろう。いくら2次、3次の情報を取りあげても信憑性に掛ける。
どんなに科学が発達しようが不明なものは残り続けるだろう。
科学は不完全であるし、ひとつの仮説を成り立たせるに過ぎないからだ。もし現代科学が万能であるとするならば、これから新たな科学的発見も発展もなくなってしまう。知らないことは無いことになってしまう。
このメキシコのU.F.O.が本当だとして
あなたも目の前でU.F.O.を目撃したとしよう。そして宇宙人がコンタクトをしてきたとしてもあなたは他の人にその事実を誤解なく伝えることが出来るだろうか。
私は無理なように思う。でもそれが真実であるならば、単に時間の問題で解決できることだと思う。
例を挙げるならば、電子メールがあれば全世界に数秒で自分のメッセージが送れるということをあなたは常識として知っている。
でも、今から100年、いや50年前の人間に上手く説明できるだろうか。おそらく変人扱いされるだけだろう。なぜならその存在を大多数の人間が知らないし、その時代の知識では証明しようがないからである。
時間がたてば全て解決する。なぜならそのときになれば「ああ、これがそうか」と否応でも分かるからだ。
U.F.Oが本当に存在するとしたら、それは時間の問題で解決するに違いない。
私のU.F.O.に対する主観としては、私達が宇宙に存在するのだから、同じような存在がかならずどこかにいるだろうし、いてもらいたいと思う。
「オークション」
2004年5月28日オークションが人気である。
全国の家庭に眠っていた不必要なものがオークションにはあふれている。日常品から車、果てには不動産までもが出品されている。
法律に触れないものがほとんどであるが、完全に法律に抵触しているものもかなりある。
特にアプリケーションソフトの違法出品は後を絶たない。
違法ソフトを出品する出品者も責任があるが、落札者側にもあきらかに責任がある。
一般的に4,5万円するソフトが数千円程度で売られているのだから
あきらかにおかしいと感じる必要性があるし、違法性を感じたらいくらお買い得感があっても購入を差し控えるべきである。
最悪のケースは、善意で違法ソフトを購入してしまった被害者が違法ソフト出品者にはやがわりするケースだ。理由は「自分のほうが安く出品できるし、自分のように小規模なら大丈夫」と思ったかららしい。
オークション運営会社も、違法出品を分かっていながら対応しないのもよくない。
インターネットの世界では法律があって無いようなのが現状だ。
匿名性が高いうえ、何人もの人格を操ることが出来る。
また、IPアドレスを隠すなどその悪質性は向上している。
法律の手の届かないインターネットオークションの世界では、取引の安全性・合法性は個人の倫理観に今は任せるしかないのだろうか。
全国の家庭に眠っていた不必要なものがオークションにはあふれている。日常品から車、果てには不動産までもが出品されている。
法律に触れないものがほとんどであるが、完全に法律に抵触しているものもかなりある。
特にアプリケーションソフトの違法出品は後を絶たない。
違法ソフトを出品する出品者も責任があるが、落札者側にもあきらかに責任がある。
一般的に4,5万円するソフトが数千円程度で売られているのだから
あきらかにおかしいと感じる必要性があるし、違法性を感じたらいくらお買い得感があっても購入を差し控えるべきである。
最悪のケースは、善意で違法ソフトを購入してしまった被害者が違法ソフト出品者にはやがわりするケースだ。理由は「自分のほうが安く出品できるし、自分のように小規模なら大丈夫」と思ったかららしい。
オークション運営会社も、違法出品を分かっていながら対応しないのもよくない。
インターネットの世界では法律があって無いようなのが現状だ。
匿名性が高いうえ、何人もの人格を操ることが出来る。
また、IPアドレスを隠すなどその悪質性は向上している。
法律の手の届かないインターネットオークションの世界では、取引の安全性・合法性は個人の倫理観に今は任せるしかないのだろうか。
「占い」
2004年5月27日今日占い師が行く占い師!?のところに行って来た。
その人は、先祖からたどって自分をみてくれる人なので占い師というと語弊があるのかもしれない。
本も見ないし、カードとかも使わない。ただ、その人を見るだけで先祖代々のことがわかるらしい。霊視とでも言うのだろうか。
私は理工系の学問を一応おさめた人間なので、比較的猜疑心も強く一応納得できないものは疑ってかかる癖がある。
そんな私が、必然なのか目に見えない世界の出来事に、最近急に引き込まれる出来事があり、そういう世界を信じざるを得なくなった。そんなわけで今日の占い師のところに行くこととなった。
結果はどうだったかというと...。
彼女は普通の占い師ではなかった。
私はやはり目に見えない世界とかかわりを持つ人間なようだ。
その意味も教えてもらった。
かといって、教祖とかになるわけではないらしいから私の周りの方はご安心を。
気がつくとあっという間に1時間が過ぎ鑑定が終わった。
結果として得るものは大きく、楽しい時間を過ごせた。
何を言われたか書くことは出来ないので、充実した時間だったと表現しておこう。
少し、自分の未来をカンニングできた感じだ。
人生っていいね。
その人は、先祖からたどって自分をみてくれる人なので占い師というと語弊があるのかもしれない。
本も見ないし、カードとかも使わない。ただ、その人を見るだけで先祖代々のことがわかるらしい。霊視とでも言うのだろうか。
私は理工系の学問を一応おさめた人間なので、比較的猜疑心も強く一応納得できないものは疑ってかかる癖がある。
そんな私が、必然なのか目に見えない世界の出来事に、最近急に引き込まれる出来事があり、そういう世界を信じざるを得なくなった。そんなわけで今日の占い師のところに行くこととなった。
結果はどうだったかというと...。
彼女は普通の占い師ではなかった。
私はやはり目に見えない世界とかかわりを持つ人間なようだ。
その意味も教えてもらった。
かといって、教祖とかになるわけではないらしいから私の周りの方はご安心を。
気がつくとあっという間に1時間が過ぎ鑑定が終わった。
結果として得るものは大きく、楽しい時間を過ごせた。
何を言われたか書くことは出来ないので、充実した時間だったと表現しておこう。
少し、自分の未来をカンニングできた感じだ。
人生っていいね。
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法科大学院制度
2004年5月27日今年4月法科大学院に入学して早2ヶ月が経過した。
講義は4月上旬から始まったが、危惧していた事柄が発生している。やはり学究的な教授の授業はわからない。
教授自身は頭がいいのだろうが教え方がさっぱりだ。
すべての教授に当てはまるわけではないが、半分はわからない。
これじゃ、ほぼ独学に頼るしかない。
現行司法試験浪人となんら変わりないではないか。
むしろ授業時間と課題で時間の拘束があるだけ現行の受験生と比較して不利だ。
なんだか入学2ヵ月程度で気分が盛り下がってしまった。
予備校的な授業と同等のものを求めるわけではないが、
せめて投資価値のある授業を行ってほしい。学費も馬鹿にならないのだし。
アメリカのロースクールのように完成されたシステム
を初年度から達成しろという無理な願いをいっているわけじゃ
ない。そんなのは無理だし、根本的な社会背景が違うのだから
同じシステムが機能するわけはない。日本は日本独自のロースクールを築きあげていけばいいのだ。
このままじゃ、新司法試験に移行しても大量に不合格者が
でてしまうだろう。
そうすれば一気に文部科学省の責任が問われることになるだろう。とはいえ、日本じゃ誰もデモも起こさないし、責任も問われることはないだろう。そういう国だ。
これが文部科学省が推進した法科大学院制度なのか。
結局、有名な予備校本を買いあさり、過去の予備校の教材で授業の復習をしている自分がここにいる。
これじゃ将来のクライアントに申し訳ないだろ。俺。
もっと意味ある時間をすごさなきゃ。
講義は4月上旬から始まったが、危惧していた事柄が発生している。やはり学究的な教授の授業はわからない。
教授自身は頭がいいのだろうが教え方がさっぱりだ。
すべての教授に当てはまるわけではないが、半分はわからない。
これじゃ、ほぼ独学に頼るしかない。
現行司法試験浪人となんら変わりないではないか。
むしろ授業時間と課題で時間の拘束があるだけ現行の受験生と比較して不利だ。
なんだか入学2ヵ月程度で気分が盛り下がってしまった。
予備校的な授業と同等のものを求めるわけではないが、
せめて投資価値のある授業を行ってほしい。学費も馬鹿にならないのだし。
アメリカのロースクールのように完成されたシステム
を初年度から達成しろという無理な願いをいっているわけじゃ
ない。そんなのは無理だし、根本的な社会背景が違うのだから
同じシステムが機能するわけはない。日本は日本独自のロースクールを築きあげていけばいいのだ。
このままじゃ、新司法試験に移行しても大量に不合格者が
でてしまうだろう。
そうすれば一気に文部科学省の責任が問われることになるだろう。とはいえ、日本じゃ誰もデモも起こさないし、責任も問われることはないだろう。そういう国だ。
これが文部科学省が推進した法科大学院制度なのか。
結局、有名な予備校本を買いあさり、過去の予備校の教材で授業の復習をしている自分がここにいる。
これじゃ将来のクライアントに申し訳ないだろ。俺。
もっと意味ある時間をすごさなきゃ。
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「一流」
2004年5月26日「Last Samurai」のDVDが日本で爆発的に売れているようだ。
「死」を認識しながらも、信条に従って生き抜く様が日本人の心を捉えるのだろうか。
牢獄に捕らえられた吉田松陰も翌日処刑されると分かっていながらも歌に同じような心情を詠んでいる。彼は日本国の危機を本気で考え、変えていこうとした気持ちを死を前にしても変えることなく貫いたようだ。
ペリー来航を機に、西洋文明を学ぶため米艦にこっそり乗り込もうとしているのだから大した人物である。
国会審議中に携帯を持ち込みメールをする議員、自らの既得権益のみを考える官僚。ハリウッド映画に大和魂を喚起される日本人。
なにか違うんじゃないだろうか。
吉田松陰のようにひっそりと、映画「たそがれ清兵衛」のような地味で、最後まで報われない人生であろうが正しいと思う自分の信条を貫く姿勢を忘れてはいけない。それが一流の生き方だと思う。単に地味で貧しく生きることを推奨するわけではない。
浮き沈みがあっても常に心に1本筋を通した生き方が望ましいと私は考える。
映画を見終わった後、隣で妻が「トム・クルーズってやっぱりかっこいいよね。」とつぶやいていた。実際私もかっこいいと思う。
映画の世界では、彼は一流の男なのだから。
「死」を認識しながらも、信条に従って生き抜く様が日本人の心を捉えるのだろうか。
牢獄に捕らえられた吉田松陰も翌日処刑されると分かっていながらも歌に同じような心情を詠んでいる。彼は日本国の危機を本気で考え、変えていこうとした気持ちを死を前にしても変えることなく貫いたようだ。
ペリー来航を機に、西洋文明を学ぶため米艦にこっそり乗り込もうとしているのだから大した人物である。
国会審議中に携帯を持ち込みメールをする議員、自らの既得権益のみを考える官僚。ハリウッド映画に大和魂を喚起される日本人。
なにか違うんじゃないだろうか。
吉田松陰のようにひっそりと、映画「たそがれ清兵衛」のような地味で、最後まで報われない人生であろうが正しいと思う自分の信条を貫く姿勢を忘れてはいけない。それが一流の生き方だと思う。単に地味で貧しく生きることを推奨するわけではない。
浮き沈みがあっても常に心に1本筋を通した生き方が望ましいと私は考える。
映画を見終わった後、隣で妻が「トム・クルーズってやっぱりかっこいいよね。」とつぶやいていた。実際私もかっこいいと思う。
映画の世界では、彼は一流の男なのだから。
「遊び術」
2004年5月24日志村けんの「遊び術」を読んだ。
私はいたって遊び下手な人間だ。常に自分を追い込んでしまうタイプで、休みを強制的に取らないと休日らしい休日が過ごせない。完全に休むわけでもなく、用事ばかりをするわけでもなく中途半端にすごしてしまう。
本の中には、欲張らず、気負わず上手に生きている素顔の志村けんがいる。
すごい人は案外、生活が普通である。逆に普通でいられるからこそすごいのかもしれない。
私は少しの悩みがあるだけですぐに考え込んでしまう。
そういう時「大物ならここで考えないはずだ。」なんて自分にいいきかせる。
でも、こう考えてる時点で既に「小物」だ。
車のハンドルもあそびがないとすぐに事故を起こしてしまう。
私は自分ひとりでハンドルにあそびをつくることがうまくない。
妻の危なっかしいハンドルに、時には身をゆだねるということも必要なのかもしれない。
でも妻は、よく袋小路に迷い込む。
私はいたって遊び下手な人間だ。常に自分を追い込んでしまうタイプで、休みを強制的に取らないと休日らしい休日が過ごせない。完全に休むわけでもなく、用事ばかりをするわけでもなく中途半端にすごしてしまう。
本の中には、欲張らず、気負わず上手に生きている素顔の志村けんがいる。
すごい人は案外、生活が普通である。逆に普通でいられるからこそすごいのかもしれない。
私は少しの悩みがあるだけですぐに考え込んでしまう。
そういう時「大物ならここで考えないはずだ。」なんて自分にいいきかせる。
でも、こう考えてる時点で既に「小物」だ。
車のハンドルもあそびがないとすぐに事故を起こしてしまう。
私は自分ひとりでハンドルにあそびをつくることがうまくない。
妻の危なっかしいハンドルに、時には身をゆだねるということも必要なのかもしれない。
でも妻は、よく袋小路に迷い込む。