「Microsoft」

2004年7月22日
Microsoftは今後4年間で8兆円の利益配当を
予定していると発表した。

おかげで株価は一気に上昇している。

8兆円といえば日本の国家予算の10分の一
インドなら国家予算に匹敵する金額である。

8兆円の利益配当により、ビルゲイツ氏は
4300億円の資産を獲得するらしいが、なんとも
凡人からしてみればどれくらいか想像すら
できない金額である。

やはりMicrosoftの功績は大きい。
Macがいいのだの、Linuxがいいのだの
独占し過ぎだの、セキュリティが甘いだの、
いろいろと批判は受けているが、
経済効果の面からいえば一番社会に貢献して
いる。

WindowsというOSがすべてとは思わないが、
WindowsというOSを通し、一般ユーザーに
コンピュータという”物”を
世界に広めたことは賞賛に値する。

あたかも社会ではMicrosoft社がコンピュータ市場
すべてを独占したかのような、誤った認識が
広がっているが、そうではない。
一般ユーザー向けのOSではメジャーな地位を
閉めているが、ビジネス界のサーバーの世界では
まだまだマイノリティである。

これからOSが家電と組み合わさることで更なる
ネットワーク社会が形成されることだろう。
WindowsというOSの革新的な発展は、近年中には
そうおきないだろうが、今後家電や別のマーケット
に如何に進出していくか楽しみである。

8兆円の配当を試みるMicrosoft社。
一般PCユーザーをターゲットにするだけでなく、
今度はPCを利用しない株主までもターゲットにし
始めたのだろうか...。

「偽名」

2004年7月21日
私は塾の講師であるが、講師の中にも
ハンドルネームというか偽名を使う講師
もいる。
理由は

「大手で仕事をしたいから小さい塾で名前を
 出したくない。」
とか
「生徒に逆恨みされても困るから。」

という理由かららしい。
別に私は本名を明かしても大丈夫だろうと思うの
だが、公表することで不利益を被るのだろうか。
大手に行ったからといって、いい授業ができる
わけでなく、過去の自分を捨て去ることは出来ない。
生徒に逆恨みされるのを心配するなら、そんな
不安な授業をしなければいいのであるし、講師を
やめればいいと思う。

結構、講師も適当な奴がいるものだ。

17、8歳という青春期間で、大学に合格するか
不合格になるかである程度人生が決まるような
瀬戸際にいる学生をむやみやたらに講師の理由
で適当に扱うべきではない。

彼らの年代こそ、多感であり自我を意識し
はじめる期間であるから大切に扱うべきである。

私はそう思う。大学に入れば、とりあえずは
どうにかやっていけるからだ。
どうにかやっていけない奴もいないことは無
いが...。
とにかく、塾にいる間は「講師の理由で」と
いうのは無くした方がいい。

「偽名」も「ハンドルネーム」も時として必要で
あると思うから、否定はしないが同じ講師として
責任をもって欲しいものである。

「13階段」

2004年7月20日
13階段という映画がある。

冤罪の死刑囚を新事実の発見により救う
というストーリーである。
過去を引きずる男達の葛藤を山崎務と反町隆史
が演じている。

見終わった後「死刑」について改めて
考えさせられた。

日本は未だ死刑が行われている国である。

刑務所の目的について日本は海外と異なっている。
海外は報復として、日本は社会復帰・更生の目的
として刑務所が存在する。
しかしながら、日本においてその目的はあまり
達成されず再犯率の高さから死刑存続が求められ
ている。

死刑は本当に必要なのか。

映画の中で山崎演じる刑務官は言う
「死んでけりなんかつかない。俺たちは生きていく
しかないんだ。」と。

殺人のような罪をどうやって償えばよいのか。
死ぬことで何かが変わるのか。
被害者の意識が変わればそれでよいのか。

法律学は閉鎖系(規定された範囲内)での議論
がほぼ不可能であるから机上の理論で結論は
出なさそうだ。
なにを最終的なよりどころとして結論を出すべきか
刑法学者に直接聞いてみたい。

生命倫理か、行動規範に対する処罰か。

私はこう思う。
被害者の立場にならなければ、死刑の本当の
意味はわからないと。

すすんで当事者になりたいとは無いが、
被害者感情を一見汲み取ったような空理空論
を振りかざす偽善者にはなりたくない。

なんだかテスト前だから、考えが抑圧的だ。

後2週間、張り切って乗り切ろう(^_-)-☆

「束縛」

2004年7月19日
アルバイト先での会話。

事務員の女性「O先生(私)これコピー必要ですか?」

私「お願いします。」

事務員の女性「縮小かけます?」

私「都合のいいようにしてください。」

事務員の女性「2枚をひとつにしちゃってもいいですか?」

私「どちらでもいいです。好きにしてください。」

というコピーについてのやり取りがあった。
それを聞いていた他の男性講師(推定35歳)がこう言った。

「駄目だよO先生。女性は束縛しなきゃ。束縛されるのが
 好きなんだからさ。」
「ちゃんと(コピー方法)指定しなきゃ。そんなあいまいじゃ
 駄目だよ。」

私は基本的に、細かいことにこだわらないので、
必要でない限り相手の都合のいいように物事を任せること
が多い。

できるかぎり相手に干渉しないようにする。

私は「そんなもんですかねぇ。」等と軽く返事を交わしたが、
果たして女性はそういうものなのだろうか。

そういえば小説「OUT」を執筆している桐野 夏生さんがTVで
束縛されたいという願望の話をされていたことを思い出したが、
女性一人で社会で活躍しているタイプの女性はそういう願望が
あるのだろうか。

私にアドバイスしてくれた男性講師は私より8歳程年上で
体格もよく、エネルギーに満ち溢れている風貌の持ち主である。
おまけに「氣志團」が好きときている。

女性について、アドバイスしてくれるその人はいかんせん、
「独身」である。

既婚者の私はアドバイスを受けるべきか、
そのまま聞き流すべきか..。迷うところである。

「博士」

2004年7月18日
大学院を卒業しても就職できない「博士」が増えている。

2002年は約6万人が大学院へ進学しているそうだ。
計算上、卒業生の約10人に1人が大学院へ進学していること
になる。

学内のポストは数が限られているため、ポストにつけない
オーバーマスターやオーバードクターが増加しているのだ。

一方、社会が彼らを受け入れるかというとそうではない。
社会性が無い、視野が狭いなどの理由で採用されないのである。
政策的に受け皿を作る制度はアメリカなどではあるようだが
日本では制度的に確立されていない。
あっても、短期の臨時講師のポストといったところだろう。

私は彼らを制度的に保障する必要性はそんなに無いように思う。
なぜなら、社会的価値が生み出せない保障制度は経済的に
悪循環を招くからである。

社会的に必要とされる人間は学校に行かなくても必要とされる
のであって、必要とされない人間は学校に行っても必要され
ないのである。

私の考えは間違っているだろうか。

保障制度を考案するよりも
不必要に「博士」を与えすぎて、「博士」の価値が下がる
ことを阻止するほうがよっぽど価値があると思うのだが
どうだろう。

社会的に高学歴の人間は、今まで進学塾や予備校が受け皿と
なってきた。しかし、それも子供の減少により少々破綻気味
である。日本は規制・制度的保障を政策的に行うのが好きな
国だと思うのだが、果たして「博士」を救う方法などあるの
だろうか。

今後、法科大学院、会計大学院等の影響で今以上に
「博士」の肩書きをもつ人間が増えてくる。
私は社会的価値が生み出せない限り、どのような制度を確立
しようが

”いらないものはいらない”

のであって、それ以上でもそれ以下でもないと思う。

価値ある「博士」なら、自らの実力で社会的価値を示して
欲しいと思うのは私だけであろうか。

「情報閲覧」

2004年7月17日
個人情報は貴重なものである。

社会保険庁の職員が個人情報を閲覧したとして
処分を受けたとニュースで報道されていたが
全く、危機感の無い行動である。

金融業界では、新規顧客が借り入れを申し込んで
きたときに、信用情報機関というところに問い合わせ
おこない、個人情報を確認する作業を行う。
(銀行系とクレジット系に大別される)
問い合わせにも費用が当然かかり、新規に個人ローン
口座を作成すると大体費用が1万円程度かかる。
下手に個人情報を問い合わせすることなど倫理面だけで
なく、経済的観点からしてもメリットは無い。

私が勤めていた3年前ですら、すでに金融機関は
個人情報保護に重点を置き、どの社員がいつ誰の情報を
調べたか、無駄に他人の情報を調べていないか記録して
いた。1日の営業の最後にはその確認を行い、適正な
営業が行われていなければすぐに処分ということに
なっていた。

信用を第一に求められる民間企業は国家機関と
比較すればやはり厳重な管理が自然と要求される。
国家機関はそういう点で競争も無く、信頼がなくなって
も顧客がいなくなるわけではないから、全く楽でいい。

東京三菱とUFJの合併がうわさされているがこれからの
金融機関は個人情報の取り扱いでもきっと差別化が
図られてくるに違いない。

幼少の頃、警察の知り合いを通し結婚相手の前科を
調べたりしている話をちらほら聞いたことがあるが、
まだそういうことは行われているのだろうか...。

いくらシステムが進んでも所詮人間が利用するのだから
倫理規範の無い人間が利用すれば同じ結果が招かれるに
違いない。

複雑化する社会に対応するのはホント大変だ。

「P2P」

2004年7月16日
P2P(ピア・ツー・ピア)ソフトが人気である。
WinMX、Gnutella、Kazaa+、Winny等サーバーを介さず
ファイルのやり取りが出来る。
非常に便利で秘匿性が高く、違法なファイルのやり取り
が後を絶たない。

法律によれば、ファイルの受信は可能で個人で楽しむ
分には著作権で保護されているものでも可能としてる。
一方、ファイルの送信に関しては著作権で保護されて
いるものは不可としている。

受信は著作権で保護されているものでも可能で、
送信は不可とすれば理論上では、著名な歌手の音楽や
、映画は当然ネット上にありえないはずであるが、
現実は著作権法上違法なものばかりがやりとりされて
いる。

しかしながら、私が危惧することは、著作権上のことで
はない。むしろ、利用者の過失や、知識不足により大変
な被害を発生させる可能性があることが一般に知られて
いないということである。

例えば、一時期自衛隊の訓練計画や、行動計画が書かれた
ファイルがネット上に流れたことがある。
流れた経緯は、PCにウィルスが侵入し、ハード
ディスク内のファイルを勝手にまとめ、
P2Pソフトを介してネット上に公開したのである。

簡単言えば、ウィルスによるものといえる。

ウィルス対策ソフトを入れてればいいじゃないかという
意見もあるが、それでは実は対応できないのだ。

更に怖いのは、どこかのサーバーにファイルがある
わけでは無いので、一旦インターネットにファイルが
公開されてしまうと半永久的に削除できないという事態に
追い込まれるわけだ。

公権力を持ってしてもこれは対応できない。

世界からインターネットが消えうる日までそれは不可能
である。本当にどうしようもない。
安易な使い方が、回復不可能な自体を招いてしまう。
損害賠償請求にしたって、天文学的な数字となるだろう。

P2P利用者にとっては、明日はわが身である。

私はインターネットは上手く利用すれば宝の宝庫だと
常々思っているが、悪意を持った使い方をしている
人間の危険性を忘れてはならないと思う。

特に、人の心理を利用したものは要注意だ。

無料なものほど高くつくとはこのことである。
PCに慣れてきたなと思う人ほど、ご注意を。

P2Pを利用している人で
個人情報や作成したファイルをマイドキュメント
にそのまま入れてる人は危険度高しである。

「大型テレビ」

2004年7月15日
テレビは大型・薄型へと進化している。

現在の主流は、液晶、プラズマといったところだろう。
しかし、どちらも市場を制覇するには決定力にかける。

液晶は、大型化が困難で動画に弱く、黒の発色が悪い。
プラズマは、大型化は比較的楽であるが、色の階調や
動画の擬似輪郭ノイズ、誤差拡散ノイズについてまだまだ
発展途上である。

映画が好きな私にとっては、いつかはホームシアター
をと考えているので技術発展してくれることは非常に
うれしいことである。

しかし、最近になって液晶・プラズマの存在を脅かす
新たなFEDという技術も出てきた。

特徴としては、フラットパネルディスプレイとCRTの
“いいトコ取り”という点が挙げられる。

専門家の批評としては、
CRT並みの応答性/色再現性を厚さ10ミリ程度の薄型テレビで
可能にする期待の技術で、CRTと発光原理が同じなため、自発光
ならではの高視野角/高コントラストと自然で鮮明な奥行き感の
ある映像と“これからのテレビ”としての資質を兼ね備えた次世代
ディスプレイとされている。

なにやら頭が痛くなりそうなコメントだが、すごいなぁという
感じは確かに受ける。

ただ残念なのは、このFEDのメーカーは車専用ディスプレイは
開発するものの家庭用TVは開発しないそうである。

素人の考えからすれば、家庭用も開発すればいいのにと思うが、
メーカーにとっては、現実にはやはりいろいろな困難や理由が
あるのだろう。

開発した技術者は液晶やプラズマに
翻弄されている大手家電メーカーに対して
ほくそ笑んでるに違いない。

技術の世界は、オンリー1がすなわちその分野の世界
No.1となれるところが面白い。

小さな会社が総合メーカーを圧倒する商品を
開発するのは、なんともロマンにあふれてて
カッコいい。

「ひとり」

2004年7月14日
斉藤一人という経営者がいる。

10年連続長者番付にランクインし、納税額歴代1位である。
今年も長者番付にランクインし、堂々の1位を獲得している。
その1位の理由もまた凄くて、普通は株の売却利益や
不動産関係の利益によるものであるのに対し、彼は事業所得
のみで1位となっているところが着目すべきなのである。

にもかかわらず、マスコミには一切出演せず
謎の人物である。

彼の本を読むとこう書いてある。

「努力はすればするほど、不幸になる。」と。

彼は中卒であって、高校、大学すら出ていない。
私もビジネスで成功するには学歴はあまり必要ないと
考えているが、努力はやはり必要なのではないかと
考えてしまう。
なぜなら、”努力”というのは主観的なものに過ぎないと
思うし、努力しないと成長が無いと思うからである。
同じだけ勉強なり、仕事をしてもそれを努力と捉えるか
ただの時間の経過と捉えるかは人それぞれであり、客観
的な基準でないはずだ。

よく精神世界系の本にも努力は良くないと書いてあるが、
定義はバラバラで不明確だ。
努力をしないと人間は成長せず、堕落していくと思うのだが
それを努力と捉えるのではなく、別の意味で捉えればよい
のだろうか。

幸せになるのに”努力”しないというのは難しい。

特に資格試験を目指している人間や、受験を控えている
人間にとっては、努力しないという問いかけは問題集
よりも難解な問題となろう。

「勉強は努力でなくて、何なのか。」「勉強は、自己を
 成長させる楽しい学習である。」

とでも言えばよいのか...。というよりも、
嫌いならやらない方がよいのか...。嫌いだからこそ、
努力して勉強するのであるし...。正直よくわからない。

松下幸之助の本にも努力は100%のうち1%くらいで残り99%は
運と周りの人間の助け、ひらめきであるとある。

私も学生の頃ベンチャー企業を起こしたいと考え、私なりに
試行錯誤したことがある。
そのとき、私と同じ技術、同じようなアイデアを持っている
人間で、会社を興し成功する人間と学生を続けている私の
どこが違うのだろうと思い悩んだことがある。

違いは、”努力”でなく”運”かなと思ったりもするが、
自分が成功しない限りそれは証明出来ないし、
信憑性が無い。

”努力”の土台があって、始めて”運”の世界の勝負
に入るのでは無いかと思うが、それもすべてに当てはまる
とは思えない。

斉藤一人氏も、成功はその人の努力でなく”運”であると本にはある。
努力した結果、成功したと本人が”思い込む”だけである
と続けて、本当は努力と成功は関係ないと述べている。

誰でも社会で成功したいと思っているし、それに向かい
ある程度の努力を試みているだろうが、努力をしないで
成功を勝ち取ると述べる斉藤一人氏の言葉は、後2週間後
に迫っている期末試験よりも難しい問題を投げかけている。

果たして真理は何なのだろうか...。

とはいえ、こんなことを考えるより期末勉強の
勉強しないと...。

「適性」

2004年7月13日
某資格試験予備校の「資格適性テスト」なるものを
興味本位で受けた。

4年程前、就職の為にリクルートの職業適性テストを
受けたときは

「積極的で、起業家向き。」

ということであった。
10段階評価であったのだが、起業家の項目が10に近い
値となっていた。
自分で客観的に性格を判断するのはやはり難しいので
こういったテストを受けることで、適性を知るという
ことは良いことである。

果たして今回の結果は...。

「現実的にありえないタイプ。」
「落ち込んでいるか精神が不安定となっている可能性あり。」

という結果であった。うーん。微妙だ。
どうやら、同じような数個の質問に対して違った解答を
したため、”性格がに矛盾する”とコンピュータは判断
したようだ。
おかげで自分が書いた資格に対する適性は今の所「なし」
ということになり、比較的向いているのは「技術職」という
回答であった。

もちろん完全に信用するわけでは無いが、4年前と心境の変化
があったことは確かなようである。
特に心理的に不安定なようであるみたいだし。

比較的低料金だし、客観的に自分を判断するという
点ではなかなか面白いテストであった。
是非、機会があればチャレンジしてみることをお勧めする。

とはいえ、”現実的にありえない”とか”適性がない”と
いわれると少しショックだが...。
スパイダーマン2を観に行った。

ハリーポッターとどちらにしようか迷ったが
なんとなく感動できるかなぁという理由で
いや、正直子供が少ないかなあという理由で
スパイダーマン2を選んだ。

前作と比較し、盛り上がりは低くなっていたが
なんとマスクを脱いでスパイダーマンの
正体がばれてしまうというストーリになっていた。

正体がばれるなんて、日本映画ではまずありえない設定だ。

あえてマスクを取るというタブーにでたのだろうか。
トゥルーライズというアーノルドシュワルツネッガー
主演の映画も正体が奥さんにばれるというストーリー
だった気が..。結構、簡単にばらしてもいいのね。

とはいえ、ヒーローものの映画は爽快感があっていい。
「ありえないよね。」とか「物理的にあれはおかしいよね。」
とかいう奴もいるが、それはそれでいいじゃないか。
観衆は、現実的なストーリーを本当は望んじゃいないのだ
「スカッ」としたヒーロー気分を擬似的に味わいたいのだ。

私が会社員であった頃、上司が「考えずに楽しく見れる
映画って何?」と聞いてきたことがあった。当時の私は、
気難しく哲学的な映画を主に好んでいたので
「アクション映画なんて...オヤジになるとセンスが無いなぁ」
と思っていたが、今は自ら進んで観に行くようになった。

現実逃避といわれようが、子供っぽいといわれようが
構わない。

現実社会が厳しいからこそ、映画を観、理想的なヒーロー像を
心に描き、また明日から現実に生きていくのである。

それにしてもスパイダーマン相変わらず、強すぎです。

「参議院選挙」

2004年7月11日
今日11日は参議院選挙日である。

私は選挙権を得てから何度投票に行っただろう。
正直な話、東京都知事選をいれても..数えるほど
しか参加していない。

学校で選挙権の意義・価値、参政権等
高度そうなことを学んでいるにもかかわらず
ごく僅かの投票回数とは全くお恥ずかしい限りで
ある。

よく犬の散歩をしながら立候補者のたて看板を
みて思うことは「果たして誰がちゃんと投票を
しているのか?」ということである。
本当の”有効投票”とはどれくらいなのだろうか。
どういう年代で、どういう人が投票に行くのか
常々疑問である。

あるとき某新聞社の記者が講演会でこう語っていた。

「5000票くらいなら5000万で買えるんですよ。」

ふーん。1票1万円。そういうものなのか。と思った。
とはいえ、私にはお金がまわってこないから町内会
の集まりとか商工会議所とか、利害関係にある会社に
纏めて配られるのかなぁ等と想像するのだが、利害
関係者がやはり義理で投票にいくのだろうか。
是非、メディアの方に調べてもらいたいものである。

マニフェストを掲げ各政党がしのぎを削るこの参議院選挙。
今回は私は誰に投票しよう。期限は夜8時までである。

小選挙区やら、比例代表という難しい言葉を勉強
することも必要だが、最低限どの政党がどのような
事を掲げ、なにを実現しようとしているかを分かろうと
するくらいの努力を私はしたほうがいいように思う。

でないと、「誰がやっても同じジャン。」とインタビューで
答える国民と全く変わりないか、むしろ確信犯である
自分のほうがたちが悪いように思う。

「そうだ京都に行こう」ではなく、「そうだ選挙に行こう」
と自信を持っていいたいものだ。

「運動」

2004年7月10日
テニスをやった。何年ぶりだろう。

私は軟式派だったので、硬式テニスは苦手
なのだが、やればやったなりに面白い。
それに普段会話しない人とコミュニケーションが
図れることが一番楽しい。

スポーツは、人との交流があるから面白い。

中学生の頃は必死にテニスボールを追いかけ、高校の頃は
勉強を追いかけ、大学は社会でうまく生きる方法を追いかけ
、今は夢を追いかけている。

何でも、追いかけすぎだよ俺。と思うが、結構目の前の
ことに真面目になる俺はなかなか手を抜くことが上手くない。

あくせくした時間の中で、たまにはボーっと
何も考えずにテニスの球を打つこともいいのかもしれない。
球の行方ひとつで、笑いが起きるのだからいいストレス
解消にもなるし。

今日は2時間ほどテニスをやっていたが、帰りは汗だらだらで
靴下まで濡れてしまった。こんなに汗をかいたのはいつぶり
だろう。ホント。汗のかきすぎで体を冷やして、風邪ひいちゃ
うよといわんばかりに掻いてしまった。

でもひとつ怖いことがある。そう、筋肉痛が怖いのだ。
それも、当日来るのならまだしも時間差攻撃を仕掛けて
くるからたちが悪い。

もし私が来週学校を休むことがあればそれは
きっと、発熱でも風邪でもなく、筋肉痛が原因かも
しれない。

でも、もちろん筋肉痛が原因だなんて言いませんよ。
あくまでも「たちの悪い夏風邪。」と言い張りますから。

P.S.テニスをやった2時間童心に戻りました。
  この機会を与えてくれたN君、Yさん、ペアを組んで
  くれたYさん、ありがとうございました。

「あっちぃ..」

2004年7月9日
今日の東京都心部の最高気温は34.8度であった。
暑いはずである。
平年と比べて7.1度も高かったそうだ。

とはいえ、大学の構内は涼しい。
当然ながら、冷房設備が完備されているからだ。

そういえば、高校時代は市立だっため冷暖房施設が
無かった。
よくもまあ猛暑の中、授業を1日5,6コマも受けたも
のである。
下敷きでパタンパタン仰ごうものなら、
「下敷きの音がうるさい」といわれ、寝たら寝たで
授業を聞いていないと先生に怒られるしよくも
まあそういう不条理な学生生活を耐えてきたものだ
と自分でも感心してしまう。

我ながらあの頃は、立派だったなぁ。

今はもう冷房が無いと集中できない。
というよりも、冷房があっても集中できない。

理屈どおりには人間いかないものだ。

過酷な状況のほうが本当は力が出るのだろうか。
高校生の頃なんて、暑いさなかに部活をやったり、
受験勉強をやってるんだからホント凄い。

「ファイトーファイトー」とか声を出すの
なんて今はもう無理。
涼しい冷房の聞いた部屋で、参考書を机の上に
並べて、「うん、俺って勉強してるよね。」なんて
インテリぶってるところが関の山。

明日もちなみに、今日と同じくらいの温度になる
らしい。
何年かぶりにテニスを外でやる予定だが、高校生の
精神を取り戻すため、

「ファイトファイトー。」なんて言ってみたりして。

「10回クイズ。」

2004年7月8日
かなり前の話、もう10数年も前になるだろか。
究極の選択とか、10回クイズとかが流行った頃。

あのくだらなさが今懐かしい。

「うん○味のカレーとカレー味のうん○」とか
思い出すだけで意味ないことによくあれだけ夢中に
なれたなぁと思う。

どっちでもいいことなのに。

「ピザ、ピザ、ピザ、ピザ、....ここは?」
「ピザ!!」、「肘でしょ?」という10回クイズ
も流行った。

今こういうことを少年に話をしようとすると、
「ピザ、ピザ..」と言おうとした時点で
「はいはい、ピザじゃなくて、肘でしょ。」と 
軽くあしらわれそうな気がするのは私だけであろうか。

そういうことが”くだらない”という認識よりも、
心の余裕がなくなってきているから、”意味のなさ
そうなこと”を受け入れるだけの余裕が無くなって
きているのではないだろうか。

塾の生徒を見るにつれても、そういう心の余裕を
持ちあわせている生徒は本当に最近、稀である。
心に余裕がある生徒は志望校に落ちても、どうにか
復活するものである。
逆に、終始落ち込んでいるタイプの生徒は
志望校だけでなく、”全落ち”ということもありえ
る。

心の余裕が無いタイプは、落ち込み
やすく、また短時間で急に明るくなる。

そういう私も結構、心に余裕は無いのだが
余裕が無くなったときこそ、あえて形式だけでも
余裕を持たせるようにしている。

なので授業の最初に、「はい、みなさんこんばんみ。」
と敢えて言うときがある。

うけてくれる生徒と、無表情の生徒半分半分だが、
きっと変な先生だななんて心の中で笑ってくれてる
に違いない。

高校生の頃、数学の教師が「結局は薬局。」とか、
「アメリカ映画の本質は、愛だ。」なんて数学と
関係ない”くだらないこと”を授業で話をしていたが、
まさか自分が同じようなことをするようになるとは...。

あの数学の先生は僕達生徒に余裕を持たそうとして
いたのだろうか。
”規制”は社会のマリファナのようなものである。

あれば既得権益を保護できるし、なければ非情な競争が
繰り広げられる。

「自由化と規制」表裏一体のものである。

テレビ東京の番組で「ガイアの夜明け」という
番組がある。何か力をもらおうと思ってついつい
見てしまう。

今回は”電力の自由化”について取りあげていた。
電力業界にも自由化の波が押し寄せているそうだ。
お陰で今まで独占だった東京電力がその市場を
新規参入組にどんどん奪われている。

東京電力には市場競争力が無い。

そんなドキュメントであった。
新規参入組みに対して価格で競争できないと踏んだ
東京電力は次の作戦に出る。

各家庭の”消費電力”をあげることを目指したのだ。

新規顧客があまり得られない、更に今までの顧客が
奪われるのならば、顧客単価を上げようという試みだ。

その戦略が結果として好転するか、裏目に出るかは
将来にならないと分からないが、番組の雰囲気では
うまくいきそうに無い感じを受けた。
顧客の単価を上げるだけでは、その上限も知れているの
ではないかと私なら思うからだ。

しかし、一方で新規参入組みの伸びる力は凄いものだ。
東京電力の市場を飛ぶ鳥を落とす勢いで奪っていく。

独占市場や大企業に挑戦することに対し、私は20代前半
の頃、無理だと思っていた。
なぜなら、新規参入組みはノウハウも無いし、資金も
ないからである。「大企業が勝つに決まっている。」
そういう幻想を抱いていた。

しかし、マイクロソフトは今までの大企業を押しのけ市場
を独占することをやってのけ、結果的に世界一の企業となった。

市場の80%以上を占めていたIBMを押しのけてだ。

それは、なぜか?

大企業には大企業故の弱点があるということだ。
過去の遺産を引き継いでいる分、柔軟な思考が出来ず
新たな動きを取りづらいということである。
過去の投資を回収したり、現在の資産を最大限に活かす
経営をしなければならないため、常に新しいものだけを
追い求めることは出来ないのだ。

こういうことに社会に出て気づいた。やはり机上では
そういうことはわからない。且つ誰も教えてはくれない。

新規参入組は、なにも無い分軽く迅速に動ける。
それに、優位な分野に一気に力を注げば、その分野では
大企業に対しても勝算があるのだ。

規制が無くなれば、新規参入組でも大企業に勝てる
ということが十分に起こりうるのだ。

当事者は厳しいだろうが、新たな動きがあるということは
非常に面白い。

野球業界も再編の時期に差し掛かっているようだが、
ライブドアの買収は果たして上手くいくのだろうか。

業種が違う、伝統が無い等と古い慣習や思想で野球
業界、ひいては既得利権の確保にやっきになっているの
かもしれないが、ごたくを並べているうちに
世界から見放された野球界にならないように、また
自らの足を食べる蛸にならないように気をつけてもらい
たいものだ。

今度野球を観に行くときは、巨人 vs 西武がペナントレース
を戦っている姿が見られるのだろうか。
合併、1リーグ制への行方が楽しみである。
先週の土曜日から声が出ない。
原因は不明だが、咽喉炎と病院では言われた。

声が出ないと本当に不便だ。

日ごろおしゃべりな私にとっては話が
できないということは結構つらい。
不思議とこういうときに限って声を出さなければ
ならない用事があるものだ。

塾の授業、電話での問い合わせ、打ち合わせ...。
それも私でなければならないものばかりである。
延期できるものであれば延期するのであるが
期限が決まっているものばかりで、今回は延ばす事
自体が無理なようだ。

普段の授業にプラスアルファの追加授業を
行って欲しいという要望もあったのだが
声が出ないので物理的に無理ということで
断ってしまった。

信頼を得るチャンスをみすみす逃してしまった。

健康管理はやはり信用・信頼を得るという意味でも
大切である。
もちろん、与えられたチャンスを逃さないという
意味でも。

今日で声が出なくて3日目だが、明日はいよいよ
塾での授業がある。
注射を打ってでも、薬を飲んででも声は出さないと。
所詮アルバイトといえばそれまでだが、やはり
与えられたことに対して真摯に取り組む姿勢は
大事にしたい。

先ほど携帯にあるサイトからある懸賞の当選
メールが届いた。
明日までにそのメールに返信すれば、当選の
権利を与えられるのだが、そのメールに返信
しようとするとサーバーエラーとなって返信
できない。

このままでは、当選の権利を喪失してしまう。

電話で問い合わせするしかないようだ...。
普段懸賞など出さないし、出しても当たった
ことが無いのになんでこういうときに限って
..。

声が出ないのはやっぱり困る。

「ガタンゴトン」

2004年7月5日
深夜になると私の家のように線路沿線でなくとも
はるばる電車の音が聞こえてくるときがある。

空気が澄み切っているのだろうか。
遠くで聞く音はなかなか心地よい。

TVで電車の踏み切りがあぶないという
コーナーがあった。
踏み切りのあの窪みに電動車いすの車輪が
挟まってしまい、自力で脱出できないとの
ことだ。

電動車いすでは、車輪が窪みに挟まってしまった
場合誰かの助けが無いとそこから抜け出すこと
は厳しいのだ。

電動車いすも段差にはさすがに弱い。

私も恥ずかしながら、靴がくぼみにはまりこんだ
ことがある。結構挟み込まれると、あせっている
のでとれないものである。

あれで電車が来てしまうと正直パニックになるか
もしれない。

よく遮断機が下りている中を、自転車で潜り抜け
ようとする人を見かけるが私はもうそこまで
して遮断機と戦う気力は無い。じっと待ったほう
が、安心だ。

TVでは、電動車いすの踏切における問題について
いろいろと解決策を練っていたが、最終的に
以下のようなことにおさまった。

某教授
「車椅子の規格を早く作って、規制しないと駄目です。」

さすが、えらい人である。
解決策はまず、”規制”からということですか。

某タレント
「いっそのこと踏み切りのくぼみをなくせばいいのに。」

ブラボー!! 迷回答である。
くぼみがなければ電車は走らないのですが...。

おそらく窪みを変えることは出来ないだろうから
車いすメーカーと利用者の知識の共有からはじめないと
ことは進まないだろうと私は思う。

現実に立ち会わないと問題点はなかなか理解できないもの
である。
今話題のマイケルムーア監督の映画である。
数年前から話題になっているが、やっと見る
機会に恵まれた。

彼は銃協会に、またアメリカ社会に疑問を投げかけて
いる。なぜアメリカは銃犯罪がずば抜けて多いのか。

カナダは3000万人中700万人が銃を所持している。
にもかかわらず、年間数十人しか銃による死亡者
が発生していない。
対するアメリカは、1万2千人弱が銃被害者と
なり、死亡している。

このアメリカの多さは何なのだろうか。

映画はこれをテーマに進んでいく。

銃被害者の家族の回答はこうだ。
「なぜかわからない。」

銃協会の宣伝塔となっているチャールズヘストン
はこう答える。
「人種が多いからではないか。」

映画の最後までこの問題の答えははっきり出ない。
しかし、あいまいながら示される答えはこうだ。

カナダは基本的に家の鍵をかけない、なぜなら
鍵をかけることで自分の世界に閉じこもるという
考えを持つからである。
逆にアメリカは鍵をかけることで他人から
自分を守ろうとする。この考えの違いが違った
結論を導くひとつの回答であるとする。

銃協会に働く人間は数多い、一種の公共事業に
近い。犯罪を招くという一方的な見方だけでは
回答などでない。経済、雇用等社会の根幹に
かかわることである。

しかしながら、マイケルムーアの投げかける
問いは非常に重要なメッセージを含んでいる。

正しいと思うことを実行することは社会では
やはり異端児扱いされるのだろうが、誰かが
やらなければならない。

誰かが行動を起こさなければ、異常も日常へと
組み込まれ、平常となってしまうからである。

そう考えさせられる映画であった。

「デザイン」

2004年7月3日
私はデザインを本格的に学んだことは無い。
正直あまり興味を持ってこなかったためだ。
しかし、自分でHPを改めて作成し、文章や絵を
使って何かを表現しようとするというときに
デザインの重要性に気づいた。

デザインに興味を持って授業を観察すると
面白い。TVで行われている授業はいい例である。
放送大学やNHK教育テレビで何かしら授業が行わ
れているが、ほとんどの場合デザインがなされて
いないというか黒板の構成が下手である。

ただ単純に文字を並べているだけである。

私がとやかく言える義理ではないが、素人の
私ですら下手だと思える構成だからレベルが
知れたものである。

デザインの超基本書にはこう書いてある。

「伝えたいことは思い切って大胆に表現し、あまり
必要性の無い部分は削る」ということだ。

素人ほど、すべてを詰め込みすぎて無駄が多く
なる。なるほど、すべてを書けばいいというもの
ではないのだ。

その点、学校よりも塾が盛況なのはそういう
観点が自然と組み込まれているということも
あるのかもしれない。

振り返るに、大学で行われている授業で何一つ
「ここが大事ですよ」と色分けして黒板に書いた教授に
今まであった事が無い。現在を含めて6年間もだ。
彼らは、表現力があまりにも無さ過ぎる。

大学とは本当に不思議な場所である。

いい意味でも悪い意味でも自主性を重んじて
いるのだろうか。

私も塾で僭越ながら20人程度に授業を行う
身の人間である。
是非、デザインの考えを授業に取り入れ、
分かりやすい講義を心がけよう。
私の生徒には私が受けた弊害を少しでも
なくしてあげたい。

自分からはじめないと何も変わっていかない。

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