「そういえば...」

2004年7月2日
熱にうなされながら、ボーっとストレスとファジィ理論
の共通性について考えていた。

こんなことを考えるとは、私は熱に完全に侵されている。

「ファジイ」という言葉が流行ったのは今から10年ほど
前だろうか。ファジイ洗濯機、ファジイ炊飯器、ファジイ
冷蔵庫、何でも家電にファジィという名前がつけられて
いた気がする。

今はどうだろうか。ファジイという言葉すら見つからない。

あの頃、ファジイ=「おまかせ」「自動」というイメージ
が定着していたように思うが、それは消費者からの一方的な
イメージに過ぎない。まったく自動ではない。すべて人間の
制御である。

単なる炊飯器においてもその制御プログラムとなると
メートルにして25メートル程プログラミングをしないと
いけないのだとNHKで放送していたことがある。

プログラミングを経験したことのある私としては
「何万行のプログラムを書かないといけないのだろう。」
という思いと同時に「何がファジイだ?全部人間の
制御じゃないか。何一つ自動じゃないよな。」という思いが
つのってしまう。

つまり、ファジイ=なんでも自動で大丈夫
という式が間違っているということである。

10年前はファジィという言葉をありがたい、ワイルドカード
のように使っていたのではのいかと思う。
現代はどうだろうか。

私はストレスという言葉がファジィに代わるもので
あると思う。
病院に行っても原因がよくわからないとすべて「ストレス
ですね。」等という言葉で片付けられる。

きわめて意味が曖昧である。

またストレスの無い人間などいないから、ある程度納得
してしまうところにその適当さの怖さがある。
現代社会においては、「ストレス」という言葉がワイルド
カードの役目を果たしている。
10年ほど前のファジィという言葉と同様に。

複雑化した社会はストレスが溜まり易いとよく言われる。
果たしてそうだろうか。
伝統的な村社会から抜け出し、個の利益、欲望を追求した
結果が今の社会では無いのか。
他人とのつながりを出来る限り排除した結果、”個”の
つもりが”弧”となってしまったのではないのか。

そうだ、こういうよく分からないときにはいい理論が
あったはずだ。
”複雑系...”と呼ばれるものが..。

あれもいったいなんだったのだろう。

「よろよろ」

2004年7月1日
ここ1年位、約2ヶ月に1度のペースで”発熱”に襲われている。

夜になると急に熱が出てきて39度程度になる。
全く眠れず、吐き気と全身の関節痛に苛まれる。

原因は自分では良く分からない。

今回も急に熱に襲われて、ふらふらになった。
且つ翌日、バイトがあって更にふらふらとなった。

塾で何を教えたか、あんまり覚えてない。
間違ったことを教えてないといいが..。

結局、大事をとって学校を休むことにした。

健康は大切にしないと。

それにしてもこの熱の原因は...。

「ごめん。」

2004年6月30日
最近青少年の言葉遣いに変化がある。
流行語はいいとしても、目上の人間に
対しての言葉づかいが褒められたもの
ではなくなってきている。

私の塾の生徒にもそれがあてはまる。

私はちなみに今年で28歳。彼ら生徒達は
18歳。質問に来て彼らは私にこう言う。

「先生これやって。」と。

冗談でも、ギャグでもない。マジだ。
私は「え?」と驚いてしまう。
解いてくださいとか、わからないんですけど
というのが普通であろう。
心の中で、「俺は友達なのか?先生だよな。」と
確認してしまう

彼らの中では先生ではなく、友達なのだ。

悪質な生徒となると「宿題やって。」とか、
「もう、この問題解くのうざい。」とか。

もう笑うしかない。

高校生だけではなく、大学を卒業した人間
にも同じことが言えるのだが、やはりそれは
社会経験の有無によるものだろうか。
人間性によるものだろうか。

ひとつ言えることは、最低限の言葉遣いが本当
にできていない人間が確実に増えてきていると
いうことだ。

しかし、気分を害してばかりいても仕方ない。
こういう時は気分転換にでも本を読むのが一番だ。
そうだ図書館に行こう。
私の家から自転車で15分くらい行った所に
区の図書館があるのだ。

その途中あやうく小学生とぶつかりそうになった。

理由は、小学生が凄い勢いで曲がり角を
確認もせずに飛び出してきた為だ。
幸いぶつからず大事に至らなくてよかったのだが、
そのとき小学生は私にこう言った。

「あっ、ごめん。」と。

少年よ、きっと君は大成するよ...。
ある弁護士の方が講演会で私達学生に対しこういう質問
をなげかけた。

「プロフェッショナルとは何ですか。」と。

ある人は、「専門性が高く、自身と誇りを持って
できること。」と答えた。

またある人は、「プロとアマチュアの差は、他人に対し
与えることができるかどうかである。」と答えた。

私は直感的に「自己満足」ではないかと感じた。
職人を見ても、芸術家を見ても自己満足の為に
行動しているとしか思えないからだ。他人に興味は
あまりなさそうだ。
ヒロ・ヤマガタもある番組でこう発言していた。

「自分が楽しいからやるんですよ。」と。

アメリカの弁護士事務所は巨大化の一途をたどって
いる。「Professional」から「Business」へと変化
しているからだそうだ。
日本も急速なピッチで巨大事務所化への道を歩んで
いる。

アメリカの弁護士数は約85−90万人。
対する日本は約2万人。
人口比率が2倍程度なのを勘案すると、アメリカは弁護士の
供給過多に陥っている。あきらかな過当競争がくりひろげ
られている。
弁護士としての営業形態も”弧”から巨大な”個”へと
変遷をしないと過酷なビジネス競争の中では生き残れ
ないのかもしれない。

先ほどの「プロフェッショナルとは?」という質問の
解答について、講演者は「顧客のニーズを第一に考えること」
だと語った。

私は、弁護士をビジネスとして捕らえた観点からは正しい
ように感じる。しかし、”社会正義なるものを実現する”
という観点からは果たして正解なものか。

正しい解答は社会と時間が導いてくれるであろうが、
根本的な”社会正義の実現”を弁護士は忘れてはいけない
気がするのは私だけであろうか。

数学のように答えが唯一であれば、楽なのに。
社会において数学でいう”解”を見つけること自体無理
なのだろうか。

「ビジネスモデル」

2004年6月28日
DVDがオンラインでレンタルできる。

「DVD ZOO 」「ぽすれん」「DISCAS」の三社が
メジャーである。
インターネットを利用した新しいビジネスモデル
であろう。

オンラインDVDレンタル会社のビジネスモデルの
キーポイントは、『返却』にあると思う。

仕組みはこうだ。
一般的なレンタルビデオ屋は顧客が期間内にビデオを
返却することを嫌う。
なぜなら利益が少ないからだ。返してくれるのなら
延滞をしてくれたほうが店側の利益は高いのである。
だから店としては、多く借りて延滞してくれる
お客さんがいればいるだけうれしいのである。

しかし、オンラインは逆のビジネスモデルである。

一ヶ月あたりいくらという契約なので、できるかぎり
レンタルされないほうがお店側としてはうれしいので
ある。レンタルされればされるだけ手間がかかり利益
率が下がるのだ。返却はどうでもよいのである。

ここがオンラインレンタルのミソである。

さらには、DVDを紛失したり、意図的に傷をつけたりした
場合はクレジットカードから自動的に損害分を引き落とす
仕組みになっているから、住所不定で貸した
ものが返ってこなくて困るということが、
まずありえない。

顧客がオンラインの利便性を感じて利用してくれている
間は儲かる仕組みになっているのだ。

ただここからが問題である。

商品が同じである分、他社との差をつけづらいのが
問題ではないだろうか。
また、アイデアはよいが技術的な要素が
私には少ないと思えるのだ。

私は無料プロバイダでアルバイトをしたことが
あるのだが、常時接続とADSL等の登場により一瞬にして
そのビジネスモデルは淘汰されたという経験がある。

そのとき、「アイデアはよいが日本には技術を基盤とした
ビジネスモデルが少ない」と私は感じたのだ。
今も正直そう思っている。

オンラインレンタルはどうなのだろう。

DISCAS以外の2社はちょうど私が無料プロバイダの
アルバイトを行っていた時期に起こされた会社
である。

渋谷をビットバレーと呼び、日本のシリコンバレー
としようとした1990年代後半の活気は今どこにいったのか。

革新的な技術を基盤としないビジネスモデルは果たして
いつまで続くのだろうか。
スパイウェアをご存知だろうか。
日本ではメールに添付されてくるウィルス程
認知度が高くないが、非常に危険なものである。

http://japan.internet.com/ecnews/20040506/11.html

スパイウェアの怖いところは知らないうちに
PCに入力している個人情報や、履歴をスパイ
ウェア開発者の下に送信するところである。

ウィルスのように、PCが動かなくなったとか
HDDが消去されたとかの直接的な行動が現れない
ために知らず知らずのうちに個人情報を垂れ流し
しているということになりかねない。

スパイウェアはHPにアクセスするだけで
埋め込まれてしまうのだ。
Cookie機能を有効にしている方はほぼ間違いなく
いや、100%感染する。

最近は個人でもファイアーウォールソフト
を導入できるようになったためインターネット
にアクセスしようとする実行ファイルを制御
できるようになった。

しかし、スパイウェアは基本的にはウィルス
対応ソフトやファイアーウォールソフトでは
対応できない。

そこが怖いのだ。

現在は、Ad-wareのように無料でスパイウェアを
削除してくれるソフトがあるので未導入の方は
是非ともインストールしスパイウェア対策を試みて
欲しい。

無料版は、埋め込まれたスパイウェアを削除する
という受動的な機能しかないが、有料版は最初から
スパイウェアを埋め込ませない機能がついているので
お勧めである。

特に大人向けサイトに訪れたことがある人は自分のPCに
数十個から数百個のスパイウェアが埋め込まれている
ことに気づくだろう。
早めに対処することをお勧めする。

インターネットが各過程に普及してから約10年程経過した。
ブロードバンドという言葉も今や常識である。

個人消費者はウィルスがPCを狙っているという事実だけで
なく、スパイウェア等により個人情報がひっそりと且つ正確に
狙われていることに早く気づかなければならない。

法の不知は許さずではないが、PCに関しても知らなかった
ではすまされない時代が到来し始めているのかもしれない。

誰かの言葉ではないが、”自己責任”である。

P.S.私のHPにもリンクしてあるがAd-wareのサイトを参考までに
  以下にご紹介しておく。
  
  http://www.lavasoftusa.com/
ジョルジオ・アルマーニのドキュメント映画を見た。

彼は40歳のときに起業し、早25年以上が経過している。
彼は1週間で3億6千万円を稼ぎ出し、70歳近くとなった
今となっても世界の第一線で働いている。

彼は自らを内向的で、エゴイストだと語る。

確かに、映像から自己中心的な感じはひしひしと
感じるが、彼自身が凄すぎて彼の言っていることは
すべて正しいのではないかという錯覚を覚える。

それだけ彼の一言には重みがある。
そこら辺りのおっさんのわがままな独り言
のようには聞こえない。

休暇は1年に必ず1ヶ月ほど島でとるらしい。
「日増しに老いていく自分と対称的な植物を観たり、
感じたりすることが楽しいのだ。」と彼は言う。

都会の喧騒の中で見失った自分を取り戻しているので
あろうか。

彼はこうも語った。

「自分はいろいろな自分を演じてきた。それは現実逃避
 であり、演技である。」と。

一流の彼ですら演じることがあるのだ。
私にとっては驚きであった。芸術肌の人間は自分を押し
通し、まるで自分が法律だといわんばかりに生きているか
と思えばそうではなかったのである。

彼は今更生き方を変えるつもりはなく、そんな自分の
人生が好きであるとしている。

演じることも人生の面白さだとする。

余裕のある人間は、やはり現実を受け入れそれを肯定的に
捉える目を持っていると私は感じた。
私は、相対的な評価を基準に考えをころころと変えてきた
態度や考えを少し改める必要性があるようだ。

一流の仕事をしている人間の姿は、正直かっこいい。

映画を見終わった後私も、いつかは彼のように華やかさは
なくとも一流の仕事をしたいという欲求がふつふつと沸いて
きたことはいうまでもない。

もちろんそのときの服装はジョルジオ・アルマーニで。

「Troy」

2004年6月25日
翌日テストだというのに映画を見に行った。

「Troy」というブラッド・ピット主演で
160分というかなり長い上映時間がある映画で
ある。

スケールの大きさと戦闘シーン、なによりも
40歳にもなって筋肉隆々のブラッド・ピット
の体が見ものの映画である。

自慢ではないが、私は筋肉隆々の体と
対極の体の持ち主である。

ヒーローものや戦いものの映画を見るにつれ
筋肉質でがっちりした体に対し男として”憧れ”
を抱くことは否めない。

映画とは不思議で観終わるとなんだか自分が
強くなったり、すごいことをやった気持ちになる。
特にアクション映画はそうだ。

もちろん「Troy」を見終わった後、俺も筋トレ
すればなんとか...などと無謀なことを考えた
ことは間違いのない事実である。

俺はブラッド・ピットじゃないんだ。勘違いするな。
と自分に言い聞かせる。

家に帰りテストの準備でもしようとPCを立ち上げると
今まで作成していたテスト向けのファイルが
すべて消えていた。間違って上書きしてしまった
ようだ。

おかげでPCとまた仲良しになりそうだ。

ブラッド・ピットの体に近づく前に
フラット・ヒョロットになりそうだ。(-_-;)
アメリカはとんでもないことで訴訟になる。

マックのコーヒーが熱かったとか、肥った
のはハンバーガーの食べすぎが原因だとか。
癌や体調不良はタバコの吸い過ぎが原因
として、タバコメーカーを訴えたり..とか
日本ではまず考えられないようなことが
訴訟になる。

今回もすごい訴訟になりそうである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040623-00001026-mai-int

女性160万人が原告となっているのだ。

アメリカには懲罰的罰金が科せられる制度があるが
もしこ裁判の判決が原告側の請求を認めるもので
あったなら世界一の小売業であるウォルマートの
経営を根底から揺るがしかねない事態になるであろう。

ちなみに、1998年におけるタバコ訴訟の和解金は
約25兆円である。
大手5社は40年間かけてこれを支払うそうである。

科学的にタバコが健康を害するという証明は厳密
には不可能であるし(同条件化で同検体に同時に
実験を行うことができないため)、タバコを吸うの
は本人の責任という観点から見れば少し企業側に
同情する余地があるかもしれない。

しかし、女性の職場における差別の訴訟が認めら
れるようであればタバコ以上に一般性は高く、
訴訟の結果によりけりで2次、3次的な訴訟が至る
所で提起されるであろう。

これはかなり重要な訴訟である。

アメリカでは、通称、チーズバーガー法
という法案が数ヶ月前可決された。
肥満の原因はファーストフードにあるとして
馬鹿げた訴訟提起を禁止する趣旨のものである。
これである程度はファーストフード企業も安心
してビジネスを行うことができるかもしれないが
実は顧客ではなく、従業員から訴えられることが
秘密や矛盾を指摘されやすく一番怖い存在
なのかもしれない。

160万人の原告に対しどういう判決が下される
のであろうか。
対岸の火事というと失礼かもしれないが、
非常に楽しみである。

「あいたたた...。」

2004年6月23日
長時間のパソコンはよくないそうである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040622-00000406-yom-soci

長時間パソコンやゲームに熱中すると”創造力や理性など
人間らしさに関係する脳の前頭前野と呼ばれる部分の機能
が低下する”上、更に”前頭前野が弱くなると、自己抑制
が出来ず、動物的、本能的に行動する”らしいのだ。

これはまずいことである。

よく考えると、私は8年ほど前からPCの前に
ほぼ毎日座りっぱなしである。
学校の授業もPCを利用して受けている程PCとは
縁があるのだ。

つまり某教授の研究によるとは私は自己抑制ができず、
本能的に活動しているということか...。

これは、まずいな。
今日もHPを4時間も掛けて作ってしまったではないか..。
こうやって日記も書いていることだし。
どんどん頭に悪影響が..。(-_-;)

なんて私に否定的な研究結果だろう。(-_-;)

と、本気では考えていないがPCばかり操っていると
その弊害はやはり自覚している。
目・肩・腰の疲れは当然、体全体が妙に疲れてくる。
それも運動したときのすっきりした疲れではなく、
妙に神経だけが興奮した状態の疲れである。

PCの疲れは、たちが悪い。(^^ゞ

更に、PCの前に連続して座っている
と頭がボーっとしてくる。

PCで疲れたとき出来るだけ私は体を動かしたり
外の空気に触れたりしてリフレッシュを心がけて
いるが、そう完全にリフレッシュとはいかない。

私自身の適性と性格上どうしてもPCを手放す
ことはここしばらくないだろうが、使用には
やはり今後注意したい。

とはいえ、授業のレポート、資料の検索、HPの管理
等、PCを利用せずにはいられない課題が山のようにある。
どうやっても私はPCから切り離されることはない
ようである。

私の頭よ。これ以上悪くならないでくれ。(^^ゞ

「Oh!No!」

2004年6月22日
リストラである。

リストラは基本的には有能ではないとされる社員を排除
するシステムである。
つまり、理論上はリストラ後は有能な社員ばかりが会社に
残り、会社の利益向上に貢献するわけである。

松下電器グループも3000人のリストラを決めたようだ。
理由は企業競争力を高める為らしい。

しかし、リストラ後に思いも寄らぬ問題が起きている。
それは金銭的なものではなく、精神的な問題である。

今まで有能とされてきた社員が精神病に侵されはじめて
いるのである。

原因は、駄目社員とされてきた社員がいなくなることで
今まで以上に出世競争が激化しているからだそうだ。
更には、自分より能力が下の人間がいなくなることで
ストレスのはけ口がなくなるというのである。

これは机上の理論ではなかなか予測できないことである。

金銭的な問題を抜きにすれば
低能とされてきた社員も実は必要だったということか。

実は、アリも同じような行動形式を示す実験結果が
報告されている。

よく働くありだけを集めて仕事をさせたよりも、全然
働かないありを数匹、働くありの中に混ぜた方が仕事
効率が上がったというのだ。

世の中計算どおりにはいかないものである。

私は正直競争が好きにはなれない。なかなか勝てないからだという
理由も無きにしも非ずであるが。
確かに1番になることは楽しい。しかし、それ以上のものは
何もないのだ。
所詮、競争は相対的なものであって、絶対的なものではない。

リストラ後に精神病にかかる社員が増えたというのは
今まで相対的な地位という価値に重点を置いてきた人間
が実は多かったからではないだろうか。

経営の本にはよく「人財」という言葉が登場する。

私も、会社に、大きくは社会に必要とされる人間に
一歩でも近づき人材ではなく人財になりたいものである。

「サービス」

2004年6月21日
お鮨を機会があって食べに行った。

ちょうどランチタイムということもあって
お得なランチメニューが用意されていた。
2人で食べに行ったので同じものを注文
するのもどうかということでランチにぎり
と特上にぎりをそれぞれ頼んだ。

特上にぎりとランチにぎりの値段は3倍ほど
違うのだが果たしてどれほどの中身が違う
のか。

5分ほどして注文した品物が出されていた。

やはり違う。見た目から違っていた。
ネタの種類がそもそも違うのである。
当然といえば当然であるが、さすが特上だ。
皿までランチとは違うのだ。

とはいえ、私が注目したのは内容ではない。
板前さんのサービスである。
普通のお店であればランチはランチのお皿、
特上は特上のおさらで別々に出してくれる
のであろうが、その板前さん気を使ってか
ランチを特上のお皿を使って出してくれた
のだ。

こういうところが気づかれにくいがサービスの
本質であろう。

一般的なレストランではこうはいかない。
マニュアル化されルール違反は許されない
のだ。

私は少々高くてもこういう気持ちの良い
サービスを受けられるお店に行きたいものだ
とつくづく思う。

その板前さんは最後までお皿だけでなく、
他の注文や行動に対しても気を使ってくれた
ことは言うまでもない。

私はそう何度もこういったお店に足を運べる
身分ではない。
しかし、事あるごとに食べ物だけでなく、
あの職人に会いに行ってみようと思うお店を
増やして行きたいものだと最近思う。

きっと私は良い食べ物だけでなく良い人間に
会いたいのだ。
カブトムシの飼育が危機に瀕しているそうである。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040619-00000071-nnp-kyu

カブトムシを牛の糞を利用して飼育する方法がどうやら
家畜排泄物処理法に抵触するらしく27年間カブトムシを育てて
きたおじさんがピンチなのである。

いわゆるおじさんにとってはその飼育方法が特許的なものであり
それを法律が禁じるという形になったケースだ。

今まで牛の糞を利用してカブトムシを育ててきたおじさんと
しては困った話である。

法律は立法目的として、生活環境に対する汚染の防止をあげているが
これは住宅街が増え、密集してきたことが根本原因であるに
違いない。そうでないと問題は起きないであろう。

また、趣旨として”不適切な管理により地域の生活環境
に関する問題も生じている”とあるが、
住宅が先にあったのか、後から住宅ができたかでは話が
異なるのではないか。
住宅が後からできたのであれば、住民はその土地近隣に
排泄物がある不利益を承知で購入するはずであり、
その排泄物に直接的に気づかなくても土地の価格や
周辺付近の様子などで購入者は購入するかどうかを
判断すべきである。

なにやら住宅を後から買った人間があたかも強い権利
を持っているかのように受け取れる趣旨である。

不動産や住宅購入者のような直接的な利害関係者が被害者
なのではなく、本当はカブトムシを育てているおじさんの
ような人間が一番被害を被っているのではないだろうか。

法は時として人に残酷である。

法により守られる利益と、法により被る被害。
これらの利益衡量は立法者の手にゆだねられている。

おじさんは牛糞を利用してのカブトムシの飼育継続を
狙い特区申請しているらしいが、それも厳しいそうである。

個人的には27年間もカブトムシを育ててきた努力と、
奉仕の気持ちを汲み取り是非、特区申請を認めて欲しい
と思うが国はどう判断するのであろうか。

自然に生きるカブトムシを見なくなって早15年。
幼少時代よく捕まえにいったあの木にはまだ
カブトムシが沢山集まってきているのだろうか。

「滝だ...(^^ゞ」

2004年6月19日
マイナスイオン発生器を購入した。

http://national.jp/product/air/ion_cleaner/index.html
(購入モデルはイオンコンディショナー F-B04G2 )

私としては、フィルターの交換やメンテナンスが
面倒なのは嫌なのでマイナスイオンが発生して、
空気中の粉塵を除去できる機能のものでよい。
フィルター交換式だとフィルターのコストや
メンテナンスにかける労力がだんだんと面倒くさく
なり、最後にはお蔵入りということになりかねない。
なのでシンプルなモデルを購入した。

今更マイナスイオンかと思われるかもしれないが
友人のI氏が部屋に空気清浄機を購入していたのを
思い出し、まあ俺も買ってみるか的なノリでなんと
なく購入した。

商品が到着して、早速タンクに水を入れ、スイッチを入れる
と「ヒョエー...」と滝の周りにいるような感じである。

マイナスイオンが健康に良いという科学的な証明は
さほどされていないが、まあそれはそれで自分が気持ち
よく感じればいいのだ。

それにしても結構部屋の空気が違うものだ。
この時期部屋を閉め切っていても涼しいのだ。

これで読書や勉強に集中でき、気分がよくなるのであれば
安い買い物である。

田舎出身の私も段々と都会の生活に慣れてきたせいか
こういうものを購入することに抵抗がなくなってきた。
普段なら車で少し行けば本当の滝に出会えるので、
マイナスイオン発生器など購入する余地がないのだが。

それにしてもこのマイナスイオン発生器は快適である。

ただこのマイナスイオン発生器、唯一の弱点がある。
それは狭い私の部屋に大きすぎるということである。(^^ゞ

「羅針盤」

2004年6月18日
バイト先の年配の方と話す機会があった。

彼曰く、「今の時代はみんなが同じ価値観、
同じ方向を向いて進んでいる。」と。

更に、「大きな広い道があるのに、あえて
狭い方向に向かっている」と。

こういう話は実際に何度か他の同じ年代
の方からも聞いていたので60才を前にした
人間はこういうことを考えているのかと
納得した。

私はまだ20代。
正直なんにも見えてこない。(-_-;)

彼は続けてこうも言った。
「○○君(私)のような年代ならば、今のように定年まで
働くという思想はもう間違っているかもしれない。
定年性も崩れていくだろうし、年をとるたびに成長
(給料・地位)するとは限らないからね。」と。

どうやら発想の転換が必要なようだ。

アメリカ的・ヨーロッパ的発想なのだろうか。
稼ぐだけ稼いで後は40歳程度でセミリタイヤ。
そういう生活もありなのか。

私は比較的仏教的思想の持ち主だったで、そういった
考えにあこがれつつも、生理的に受け付けなかったの
だが、最近はそれはそれでいいのかなと思うように
なった。

生き方にこだわりすぎると、自分がつらくなるだけである。

生き方に対し、相対的評価ではなく、自分の中で絶対的
評価を持ってしっかり生きるほうがいいのだろう。

私は将来法曹となって社会に役立ちたいと考えて
いる。
しかし、別に法曹でなくても正直良いと思う。
法曹じゃなきゃできないことは確かにあるが、それ以外でも
社会に役立つ仕事なんていくらでもある。
むしろ、法曹だけを眼中に入れていたら、法曹という枠に
縛られて思うように動けないかもしれない。

最後に彼は私にこう言った。
「ひとつ確固たる生活の糧を得たら、それを軸に発想を
柔軟にして生きていきなさい。」と。

ついつい考えが狭くなりがちな私に、ありがたい言葉である。

これから大きな海原へ漕ぎ出そうとする私にとって、
このような人生のアドバイスは生きる指針となり正しい
方向を指し示す良き羅針盤となるに違いない。

「おっとっと。」

2004年6月17日
バランスが大事である。
私は何かに集中してしまうとそれしか目に入らない。
残念だけど、そういう性格だ。

なので、集中し始めるとそれ以外のことは
あまり興味がなくなるというか手につかなくなる。

生きるバランス感覚が鈍いのである。

世界中に名を知られたマザーテレサ。
社会的弱者や飢餓に苦しんでいる子供達を救っている
姿はTVや新聞でもよく報道されていたことは周知
のことである。

私は彼女を神様のような人だと思った。

報道される姿は常に優しさに満ちている。
なぜ、あそこまで人にやさしくできるのか
私は疑問であった。

最近その謎が解けた。

彼女は確かに苦しんでいる人には優しいのだそうだ。
でも、その周りの看護士や関係者にはかなり
厳しい言葉を発していたそうだ。
きっと悪口や愚痴といった類のものではなく、
行動や、治療に対する指導的なものであろうが。

つまり彼女は自分の中で優しい側面と厳しい側面
の2面性を持ち合わせており、バランスをとって
いたのである。

彼女ですら、常に優しさだけを持ち合わせている
のではないということが分かったのだ。
私はなにか安心した。
彼女と私を同視するわけではないが、なにか
安心感を得たのだ。

バランスはやはり大事なのだ。

そういえば、今月私は3回目の結婚記念日を迎える。
これからもバランスよく仲良くやっていきたい
ものである。
夫だけにバランスをとるとき「おっとっと...」
なんて。

俺ももう女子高生にはモテないな。きっと。
授業中日本人は積極的に発言をしない。
公知のようにアメリカではその逆らしい。

後方に座席を陣取り、発言しない人々を
英語ではバックベンチャー(Back Bencher)
と呼ぶ。

私の所属する大学は典型的な日本の
授業といった感じで授業中積極的な
発言はなされない。

先生に「学費の元を取りなさい」とか
「発言しないともったいないよ」とはっぱ
をかけられても全く変化はない。
発言する人はいつも決まった人間
である。

何も発言しない人間が、考えていないかと
言えば実際はそうでなかったりする。
思慮深く考えている人間も中にはいるのだ。

私が考えるに、考えていても発言しない
人間はおそらく無意味な発言を控えたい
からではないからだろうか。
間違えることを恐れているというよりも、
無意味な質問に対して答えたくないので
あろう。

私は思慮深い人間ではないが、無意味と感じる
質問には答えたくないタイプだ。

確かに消極的な日本人をみるにつれ、アメリカ人
的な積極性は時には必要かもしれない。
しかし、授業でどんどん手を上げて
発言する形態というのは、今の日本人に
適さないのではないだろうか。

振り返れば、今週も静かな1週間が
過ぎた。発言は強制的に当てられた
たった1度だけであった。

そう、もうお分かりかと思うが、私は
ベンチを年中ほっかほっかにあたため
ているバックベンチャーである。

やきいもでも...それは無理か。
インターネット上では掲示板が人気である。
「2ちゃんねる」をはじめとしてさまざまな掲示板
が存在する。しかし最近になって、掲示板の管理者に対し、訴訟が多数起こされている。

http://internet.watch.impress.co.jp/static/column/jiken/2004/06/09/

裁判所は、掲示板の管理者は、「常時監視義務は無い。」
書き込みは「一定の範囲内で表現の自由として保障される。」
として原告からの訴えを退けている。

果たして責任は誰が取るのか。

インターネット上では日常では使わない奇妙な言葉が使われている。
「氏ね」や「逝ってよし」「厨房」とか..。

果たして上記のような言葉は裁判所のいう表現の自由に入るの
だろうか。
確かに正当な批判であれば、掲示板に書き込む
意義はあるだろうが、「死ね」→「氏ね」とかのように
書き込んだ場合はどうなのだろう。
私のような一般人からすれば同義なような気がするし、
十分に相手にダメージを与えていると思う。

正直裁判所でもどこからが表現の自由で、どこからが
中傷なのかという判断をしかねているというのが本音
ではないだろうか。

原告からの訴えに対し、掲示板の管理人は「IPアドレスを記録する機能が無かった。」
とか、「監視義務は無い」等と弁解しているが、私は
悪意があり、十分にその非道徳性を本人が認識しつつ
行っていると考えられる。

現に、肯定的な内容は掲示板にはまず書き込まれないのだから。

私は膨大な掲示板を運営する管理人に、IPアドレスの記録
や常時監視義務を課しても取り締まりや、裁判の結果は同じでないかと思う。
所詮は書き込む人間の倫理・道徳観によるものが多いからだ。

上記のリンクの裁判結果は管理者に責任が問われなかったようで
あるが、いったい誰が責任を問うのであろう。
掲示板が存在しなければそもそも問題は起きなかったのに、
誰も責任が無いというのは恐ろしい裁判結果である。

識者による立法を今は待つしかないのだろうか。
忘れもしない、「チャンピョンなお子」である。

姓を「チャンピョン」名前を「なお子」という。
稀有な名前である。

この名前と出会ったのは某ペットショップである。
ペットショップへは犬を飼っていることもあって
ときどき行くことがある。
ふと、犬や猫が入っているケースを覗くと親の名前の部分に
が「チャンピョン直子」と書いてある。

私は「チャンピョンかぁ、たいした名前だなぁ。
だけどこんなダサい名前誰がつけたのだろう。」と
笑ってしまった。
姓をチャンピョンとしても、名前の部分に直子と
つけるブリーダーの顔が見てみたいとも思った。
ハーフじゃないんだからさ。何度思い返してみても
ダサいのだ。

ふと、右となりのケースを見ても親の欄に同じ名前
が書いてある。

私は思った。
「チャンピョン直子は相当のやり手だな...。」と。

さぞかしチャンピョンはもてるのだろう。

今度は左となりのケースを見てみた。
同じ名前だ。
あれ?!変だぞ。犬の種類が違うよな...。

「あっ...。」。世の中知らぬが仏である。

チャンピョン直子とはチャンピョン犬(猫)の直系
の子供という意味だったのだ。

私はそそくさとペットショップを後にした。
笑われるのはブリーダーではなく私だったのだ。(-_-;)

200円の価値

2004年6月13日
200円でコンビニで今何が買えるだろうか。
お菓子や飲み物は別としても、惣菜やお弁当は
なかなか買えない。

最初は100円で販売されていたおにぎりも、今や
高いもので200円前後するものまである。
おにぎり1個でその値段である。

ちょっと素材にこだわりすぎである。

今ではコンビニに200円持って行くだけでは
お腹の足しになるような買い物はなかなかできない。

その点ファーストフードはやはり低価格性に優れている。
特にマクドナルドでは200円あればハンバーガーが2個も
食べられる。
おにぎりよりカロリーも高く、お腹の足しに
なる。それでいて、世界中どこでも同じ味で、
牛肉100%のハンバーガーを食べられるという点は
全く賞賛に値する。
(海外に行って唯一安心して注文できるのは
マクドナルドだけだろう)

自然派食品のすばらしさがうたわれる一方で、
世間一般のサラリーマン一ヶ月のお小遣いが
3万円程度とされいる現代において、200円程度で
ご飯が食べられるファーストフードの貢献度は
きっと高いに違いない。

ちなみに、私はうどんの”はなまる”が好きで
ある。
でもあれってファーストフードなのかぁ...。

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