「夏の終わりに」
2004年9月22日もう夏も終わりだというのに東京では30度を超す日々が
続いている。長袖を着るとじんわりと汗がにじんでくる。
9月中旬だというのにこの陽気である。
ニュースでは昨年の冷夏と対照的に「異常気象だ。」
と報道されている。毎年異常気象?と言わんばかりの
雰囲気である。
天気ほど異常と呼ぶにはふさわしくないかもしれないが
私はすこし変だなぁとおもう事がある。
それは日本におけるサラリーマンの真夏のスーツ着用
についてである。
日本の企業、特に営業や企画の部署では真夏だと
いうのにスーツ着用が暗黙の了解となっている。
もちろん半そで可能とする企業や服装自体を全て
自由とする企業が出てきているのは知っているが
未だに根強くスーツ着用の習慣があることには
驚かざるを得ない。
アルバイト先の以前某TV局に勤めていた上司も
こういう。
「どんな真夏日だろうが、半そでを着たことがない。
長袖のシャツにスーツ着用だった。」
と。
高度経済成長時代の回顧録を私は聞きたいわけでは
ない。今は21世紀だ。
インターネットが発明され、情報共有の効率化が
図られ、グローバル化が進んでいる今日である。
企業にとっては、効率を少しでもあげ、生産性を
拡大しなければ他の国の企業に買収されて
いく運命にあるのだ。
金融業界を見れば、日本企業の過去の経営方法
が如何に間違いだったかよくわかる。
私は長袖にスーツ着用という習慣が日本を象徴して
いるように感じてしまうのである。
本音と建前ではないが、スーツ着用に何の意味が
今の時代あるだろうか。
「いやいや、やはり見た目の印象ですよ。」とか
「礼儀が半そでではちょっと...。」と言われるかも
しれない。
しかし私はそうは思わない。
「そんなことをやってるのは日本だけですよ。」
といってあげたいくらいだ。
本当の意味での効率化や社員の生産性を考える
ならば、服装が仕事に及ぼす影響を調査し、エアコン
の温度設定にまで配慮したほうがよいのではないか
と思う。少なくとも私ならそうする。
私たちは時代とともに変わっていく運命にある。
変わらない・正しいと思っているのは自分の経験
に因る幻想に過ぎない。
そろそろ季節は夏から秋へと変わろうとしている。
私はこの夏、少しは変われただろうか。
続いている。長袖を着るとじんわりと汗がにじんでくる。
9月中旬だというのにこの陽気である。
ニュースでは昨年の冷夏と対照的に「異常気象だ。」
と報道されている。毎年異常気象?と言わんばかりの
雰囲気である。
天気ほど異常と呼ぶにはふさわしくないかもしれないが
私はすこし変だなぁとおもう事がある。
それは日本におけるサラリーマンの真夏のスーツ着用
についてである。
日本の企業、特に営業や企画の部署では真夏だと
いうのにスーツ着用が暗黙の了解となっている。
もちろん半そで可能とする企業や服装自体を全て
自由とする企業が出てきているのは知っているが
未だに根強くスーツ着用の習慣があることには
驚かざるを得ない。
アルバイト先の以前某TV局に勤めていた上司も
こういう。
「どんな真夏日だろうが、半そでを着たことがない。
長袖のシャツにスーツ着用だった。」
と。
高度経済成長時代の回顧録を私は聞きたいわけでは
ない。今は21世紀だ。
インターネットが発明され、情報共有の効率化が
図られ、グローバル化が進んでいる今日である。
企業にとっては、効率を少しでもあげ、生産性を
拡大しなければ他の国の企業に買収されて
いく運命にあるのだ。
金融業界を見れば、日本企業の過去の経営方法
が如何に間違いだったかよくわかる。
私は長袖にスーツ着用という習慣が日本を象徴して
いるように感じてしまうのである。
本音と建前ではないが、スーツ着用に何の意味が
今の時代あるだろうか。
「いやいや、やはり見た目の印象ですよ。」とか
「礼儀が半そでではちょっと...。」と言われるかも
しれない。
しかし私はそうは思わない。
「そんなことをやってるのは日本だけですよ。」
といってあげたいくらいだ。
本当の意味での効率化や社員の生産性を考える
ならば、服装が仕事に及ぼす影響を調査し、エアコン
の温度設定にまで配慮したほうがよいのではないか
と思う。少なくとも私ならそうする。
私たちは時代とともに変わっていく運命にある。
変わらない・正しいと思っているのは自分の経験
に因る幻想に過ぎない。
そろそろ季節は夏から秋へと変わろうとしている。
私はこの夏、少しは変われただろうか。
コメント