「気の発見」
2004年9月11日五木寛之氏の「気の発見」という本がある。
ここ最近気になっていたのだが、やっと手に入れて
読んだ。五木さん独特の着眼点で気に迫り、
またその存在を著者の視点で捕らえている本である。
仏教的観点からのアプローチやヨガからのアプローチ
など示唆に富んでいる。
科学的見地からの証明というのではなく、哲学的
アプローチと呼んだほうがいいのかもしれない。
私は「気」というものについてきっとあるんだろうけど、
あくまでも想像の域はこえないなぁと思っている。
誰もが確認できる気があったら一番いいなぁと思う。
気というものを見たり感じられたりすれば本気で
信じるのだろうが、やはり自分の中ではなにか
目に見えないエネルギーとしてしか受け入れる
にとどまっている。
本当は、エネルギーという概念自体も間違っているのかも
知れないが...。
東洋では気という概念が日常に組み込まれているが
西洋では気という概念はないらしい。
プラーナとかそういう言葉で置き換えられるようだ。
本の中では江戸時代にすでに気という概念が考え
られているということも紹介されていたが、
考えてみれば日本には気という文字を使った言葉が
たくさんある。元気、気配、気にする、根気...。数えきれば
きりがない。古代の人は気というものをきちんと概念として
捕らえ認識して使用していたのだろうか。
なかなか気という歴史を考えるだけでも奥が深そうである。
中国では国家プロジェクトとして気というものを
研究しているようであるが、果たして解明される
日は来るのであろうか。
私は、いつかは来るだろうし、来てほしいと思う。
かの万有引力を発見したニュートンはこう言っている。
「大海原を前にして私は砂浜で貝殻を集めているような
ものだ。」と。
確かに、人類の発見した科学はまだまだ初歩的なものであろうと
思う。しかし、それが人間の知というものであり、進歩であると
私は考える。
知らなくても生きていけることはできるが、私は知れたのに
知らずに生きていくことはもったいないと思う。
著者は、文学的見地からの意見からか「気」という
ものに対し、科学的メスを入れることをあまり期待しない
ようであるが、私は大いに期待したい。
なぜなら、「気」というものが解明されれば、体に負担を負う
西洋医学を用いない未来が来るかもしれないではないか。
切らずに、薬も使わずに体が治る世界。
そういう未来もあっていいんじゃないだろうか。
ここ最近気になっていたのだが、やっと手に入れて
読んだ。五木さん独特の着眼点で気に迫り、
またその存在を著者の視点で捕らえている本である。
仏教的観点からのアプローチやヨガからのアプローチ
など示唆に富んでいる。
科学的見地からの証明というのではなく、哲学的
アプローチと呼んだほうがいいのかもしれない。
私は「気」というものについてきっとあるんだろうけど、
あくまでも想像の域はこえないなぁと思っている。
誰もが確認できる気があったら一番いいなぁと思う。
気というものを見たり感じられたりすれば本気で
信じるのだろうが、やはり自分の中ではなにか
目に見えないエネルギーとしてしか受け入れる
にとどまっている。
本当は、エネルギーという概念自体も間違っているのかも
知れないが...。
東洋では気という概念が日常に組み込まれているが
西洋では気という概念はないらしい。
プラーナとかそういう言葉で置き換えられるようだ。
本の中では江戸時代にすでに気という概念が考え
られているということも紹介されていたが、
考えてみれば日本には気という文字を使った言葉が
たくさんある。元気、気配、気にする、根気...。数えきれば
きりがない。古代の人は気というものをきちんと概念として
捕らえ認識して使用していたのだろうか。
なかなか気という歴史を考えるだけでも奥が深そうである。
中国では国家プロジェクトとして気というものを
研究しているようであるが、果たして解明される
日は来るのであろうか。
私は、いつかは来るだろうし、来てほしいと思う。
かの万有引力を発見したニュートンはこう言っている。
「大海原を前にして私は砂浜で貝殻を集めているような
ものだ。」と。
確かに、人類の発見した科学はまだまだ初歩的なものであろうと
思う。しかし、それが人間の知というものであり、進歩であると
私は考える。
知らなくても生きていけることはできるが、私は知れたのに
知らずに生きていくことはもったいないと思う。
著者は、文学的見地からの意見からか「気」という
ものに対し、科学的メスを入れることをあまり期待しない
ようであるが、私は大いに期待したい。
なぜなら、「気」というものが解明されれば、体に負担を負う
西洋医学を用いない未来が来るかもしれないではないか。
切らずに、薬も使わずに体が治る世界。
そういう未来もあっていいんじゃないだろうか。
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