「インターネットはからっぽの洞窟」
2004年6月7日「インターネットはからっぽの洞窟」
(著:クリフォード・ストール)という本がある。
著者は1997年当時において既に、ネット暦15年を誇って
いたつわものである。
1997年当時日本でインターネット接続といえば
ダイヤルアップが主流で、よくてISDNだったと記憶している。
(米と日本でそこまで接続スピードに違いは無かった。)
それが今やダイヤルアップの何百倍、何千倍ものスピードで
個々の家庭からインターネットに接続が行われている。
7年程度でよくもここまで進歩したものだ。
果ては無線接続が主流となるのだろうか。
1997年当時と比べてインターネットのコンテンツは
どうなっただろうか。
動画、音楽、インタラクティブなHP等、用途は確かに
広がった。情報量もインフラの整備により莫大に増えた。
しかし現在も過去もやっていることは同じである。
情報を発信し、受信しているだけである。
知識の共有はあれど、そこに体験は伴わない。
著者は言う、インターネットは疑似体験であって
本物の体験には代えられないと。
洞窟探検が好きな著者はインターネットを”からっぽ
の洞窟”と称した理由も一理ある。
私は、インターネットに依存した生活を送っている。
品位・信憑性よりも即時性、多様性に重点を置いて
いるという理由もあるし、費用対効果が高く感じられ
るからである。
著者の言うように本当の体験はもちろん伴わない。
しかし、目的と手段を間違えない限り、知の共有と
いう点でインターネットは生活に欠かせない情報
ツールであることは現代において異論のない世間の
認識ではないだろうか。
TV・新聞というメディアからインターネットへと
私の生活はシフトしているが、もしかしたら本当は
終わりのない”からっぽの洞窟”という探検に日々
でかけているにすぎないのかもしれない。
(著:クリフォード・ストール)という本がある。
著者は1997年当時において既に、ネット暦15年を誇って
いたつわものである。
1997年当時日本でインターネット接続といえば
ダイヤルアップが主流で、よくてISDNだったと記憶している。
(米と日本でそこまで接続スピードに違いは無かった。)
それが今やダイヤルアップの何百倍、何千倍ものスピードで
個々の家庭からインターネットに接続が行われている。
7年程度でよくもここまで進歩したものだ。
果ては無線接続が主流となるのだろうか。
1997年当時と比べてインターネットのコンテンツは
どうなっただろうか。
動画、音楽、インタラクティブなHP等、用途は確かに
広がった。情報量もインフラの整備により莫大に増えた。
しかし現在も過去もやっていることは同じである。
情報を発信し、受信しているだけである。
知識の共有はあれど、そこに体験は伴わない。
著者は言う、インターネットは疑似体験であって
本物の体験には代えられないと。
洞窟探検が好きな著者はインターネットを”からっぽ
の洞窟”と称した理由も一理ある。
私は、インターネットに依存した生活を送っている。
品位・信憑性よりも即時性、多様性に重点を置いて
いるという理由もあるし、費用対効果が高く感じられ
るからである。
著者の言うように本当の体験はもちろん伴わない。
しかし、目的と手段を間違えない限り、知の共有と
いう点でインターネットは生活に欠かせない情報
ツールであることは現代において異論のない世間の
認識ではないだろうか。
TV・新聞というメディアからインターネットへと
私の生活はシフトしているが、もしかしたら本当は
終わりのない”からっぽの洞窟”という探検に日々
でかけているにすぎないのかもしれない。
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