受験数学

2004年5月21日
私は、大学受験を控える高3生の塾の講師のアルバイトをしている。

よく生徒から「数学嫌いなんだけどどうすればいい?」とか「数学ってなんの役に立つの?」と聞かれる。
前者の質問に対しては、「数学の教師やってるけど俺も嫌いだから大丈夫。無理して好きにならなくていいんじゃない。」と半分冗談で答える。後者の質問に対しては、「人に物事を説明するときに論理的に説明する力がつくから」等と都合よく答えている。

大学が理工系出身であったため塾で数学を教えることとなったが
社会において未だに受験数学の必要性はさほど感じない。
むしろ、受験数学なんていらないとさえ思っている。
数学をどうしてもやりたければ、やりたい奴だけが大学に入っておおいに勉強すれば良いと思う。

保険率の計算や、技術的な側面を持つ一部の職種に数学は必要だと思うがそれ以外の職種で数学が役に立つことがあるのだろうか。飲み会の割り勘計算に役立つとか、おつりの計算が速いとか大してうれしくも無い技しか身につかない。

受験数学の重要性ってなんだろう。

重要性がわからないまま、”受験”という理由で指導をしている自分にときどき矛盾を感じてしまう。
18歳という多感で貴重な年頃に受験数学を含め受験勉強ばかりすることは受験予備校の教師という立場にありながら、全面的には肯定できない。
世間では”百ます計算”とかいう勉強方法がもてはやされているようだが、ゲーム性を高めた、詰め込み式の受験勉強に過ぎないと私は思う。

私はよく授業で「偏差値で大学を決めるよりも、自分の本当にやりたいことを見つけて、その目標に近づける大学・学部に向かって勉強しなさい。」と偉そうなことを言っている。
さすがに立場上、無意味に大学に進むなとは思ってても言えない。

私も浪人を経験し、少しは受験勉強をした身ではある。
そのお陰で大学にも合格し、今の社会的立場がある。
自己の受験勉強すべてが間違いだったとは思わないが、受験勉強のお陰で心から良かったと思うことはそれほどない。
むしろ、自分と他人を比較し、人の頭の悪さを見つけ、知識の弱点を探す悪しき癖を身につけてきたように思う。
それで、自己存在の肯定、生きていく安心感を養ってきたという現実を少なからず否定できない。

最近読んだ本によると、一部上場企業の創業者はほとんどが有名大学を卒業していない人だそうである。

受験勉強の重要性よりも、夢を持って生きること、人の役に立つことの重要性をこれからは大切にして生きていきたい。

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